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大垣市郷土館所蔵品展『氏庸と大垣藩ゆかりの書画展』

発信日:2017年11月25日(土)  発信者:松井 司雄

大垣市郷土館所蔵品展『氏庸と大垣藩ゆかりの書画展』

◎所蔵品展『氏庸と大垣藩ゆかりの書画展 』

戸田家は代々、学問・文化を尊重しました。中でも大垣藩八代藩主戸田氏庸公は、学問・文化尊重の藩風を一層推進し、学問所を創設(後の致道館、敬教堂)し、博士の街大垣の礎を作りました。
また、自ら狩野派の絵師につき筆をとり優れた作品を多く残しました。
この土壌に多くの優秀な政治家・学者・文化人が育ちました。
今回の所蔵品展は、本館所蔵の大垣藩ゆかりの書画を展示し、大垣の学問・文化の源に触れていただこうとするものです。

【展示内容】画軸6点(二幅対2点、三幅対1点含む)、書軸4点、絵屏風1点
【会場】大垣市郷土館 1階 郷土美術室
【会期】11月11日(土)~12月17日(日)
【開館時間】9:00~17:00(入館 16:30まで)
【休館日】毎週火曜日、11月24日(金)
【入館料】一般100円、高校生以下無料

◆戸田氏英≪生没1729~1768≫〔在封1735~1768〕
『紅梅図』
大垣藩六代藩主。7歳で藩主となる。財政立て直しのための家臣団の人員削減「永享の暇」を指揮したり、百姓一揆「盛桝騒動」に対したり、世継ぎ問題(山本周五郎「花莚」に描かれている)に悩んだり、と苦労している。しかし、幕府からの信任は篤く、奏者番などを務めた。また幕府直轄領7万石弱の治政を預けられた。養子氏教は幕府の老中となっている。

◆戸田氏庸≪生没1783~1841≫〔在封1806~1841〕
『布袋唐子遊図』・『七福人(神)』
『富士の図』・『聖人の図』
『昇降鯉図』・『養老の滝』
『養老の滝 孝子の図』
大垣藩八代藩主。23歳で藩主になったが、この頃、大垣藩は極度の財政難に陥っており、財政立て直しに尽力した。しかし、なかなか効果が上がらなかった。このような中で、人材の育成が大切であることを痛感し、学問・文化を大いに奨励し、藩校設立に踏み切った。これが、大垣を学問の町にする大きな契機となった。また、個人としても画才に優れ、多くの作品を残した。

◆戸田氏彬≪生没1831~1865≫〔在封1856~1865〕
『富嶽紅梅図』
『富士に松の図』
大垣藩十代藩主。父氏正と共に幕末の激動期に青年藩主として大垣藩を指揮した。幕命を受け、安政の大獄、黒船の再来・日米修好和親条約、和宮の降嫁と公武合体、水戸天狗党事件、天誅組事件、長州征討などにかかわり、朝廷からは京都御所の警固などを下命され、忠勤に励んだ。そのため、朝幕双方から功を賞されている。しかし、大坂警備の軍中で病気により没した。わずか35年ほどの生涯であった。

◆戸田氏共≪生没1854~1949≫〔在封1865~1871〕
『鶴宿千年松』
氏彬の弟で、大垣藩十一代藩主(最後の藩主)。少年期に藩主となったが、父氏正や小原鉄心の支えで幕末の混乱期に勤王に藩論を統一し、上京し朝廷に忠誠を誓った。
版籍奉還後、東京へ遊学、続いて米国へ留学。以後伯爵となり、中央で大活躍し、外国公使や式部長官などを歴任した。しかし、大垣に対する熱意は変わることなく、特に教育にかかわる援助は大変なものであった

◆戸田鋭之助≪生没1857~1943≫
『酔談天下事笑読古人書』
『春池深且廣』
初代藩主氏鉄の家老戸田治部左衛門以後代々、家老職を務めた家に生まれた大垣藩最後の家老。わずか6歳で家老となる。維新後、実業家を志し、第129国立銀行、大垣共立銀行を設立、初代頭取。旧大垣町初代町長。大垣商工会議所会頭などを歴任。企業誘致を進め、近代大垣の礎を築いた。教育にも大きな情熱を傾けた。大垣の政財界の中心となり大きな貢献をした。

◆小原鉄心≪生没1817~1872≫
『酔中大書』
戸田氏正に重用され、藩財政の改革を主導し、成果をあげた。また、幕末の混乱期に兵制を様式に切り替え、砲術を研究させた。。これが、大垣藩が禁門の変や戊辰戦争などで活躍できた理由である。最後には藩論を勤王にまとめあげ、大垣が新政府で活躍できる素地を作った。憂国の志士とも交わり、天下国家のあり方まで視野に入れて活躍した人物で、酒を嗜み、豪快かつ繊細な心情を書に表した。

◆野村藤陰≪生没1827~1899≫
『楠公之詩』
小原鉄心に信頼され、幕末から明治初期に大垣藩校や私塾などで教育に当たった学者。特に儒学に熱心で、四書五経についての学識は深く、中でも春秋左氏伝に精通していた。「左氏伝詳訳」や「藤陰詩文考」は著名な著書である。藤陰は、「西濃で教えを受けなかった者はいない」と言われるほどの大教育者で、数千人もの子弟を育てた。その中から大垣を代表する学者や文人が多く生まれた。

◆大橋翠石≪生没1865~1945≫
『猛虎図六曲金屏風』
大垣の染物屋に生まれた。幼少から絵を習い、18歳で京都、20歳で東京に出た。東京では渡辺小華(渡辺崋山の子)に習った。彼は、写生の重要性を感じ、虎を熱心に描き続けた。その結果、明治33年パリ万国博覧会に出品した「猛虎図」は優等金牌を受賞した。その後、虎を描かせたら天下一と称され、宮内省・各宮家・朝鮮李王朝・華族からの依頼が相次いだ。展示した屏風は、旧大垣藩主11代戸田氏共の三女の結婚祝いに、戸田鋭之助が翠石に依頼して制作されたものである。

■リリース問合先
大垣市郷土館
〒503-0888 岐阜県大垣市丸の内2丁目4
0584-75-1231

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