「斬首の光景」
ジュリア・クリステヴァ (著), 星埜 守之, 塚本 昌則 (訳)
みすず書房
イメージの根にある力
〈切られた首〉といわれて、人は、一体どんなイメージを思い描くだろうか?おそらくそれは人間にとって、もっとも衝撃的なヴィジョンのひとつにちがいない。そう遠くはない時代に行われていた、さらし首やギロチン刑、世界の各地に広く分布していた首狩りの風習の一方で、それは人間を深くとらえ揺さぶるイメージとして、くり返し芸術作品のモチーフになってきた。
神話の中のメデゥーサやオルフェウスの首、サロメによって斬られたヨハネの首・・。ギリシア・ローマ彫刻からルネサンス、カラヴァッジョ、レンブラント、モロー、ルドンなど、思い浮かぶ名作はたくさんある。
本書は、ルーヴル美術館のデッサン部が、キュレーターを招いて企画する所蔵品による展覧会シリーズのカタログ(1998)として刊行された。同シリーズは、ジャック・デリダによる「盲者の記憶」(1990)にはじまり、これまでにピーター・グリナーウェイ、スターロバンスキー、ジョセフ・コスースなど、各分野の先端で活躍する強者たちが、コレクションを再起動させて注目された。
ジュリア・クリステヴァは、構造主義以後の代表的な思想家の一人として、翻訳された著書も多いが、美術に関しても、ホルバインの「死せるキリスト」をあつかった「黒い太陽ー抑鬱とメランコリー」などがある。
ここで、クリステヴァは、〈おぞましさ(アブジェクト)〉と〈棄却(アブジェクション)〉という基本概念にそって、表された元型的なイメージを渉猟していく。ふり乱した髪が蛇となって乱舞するメデゥーサ(ゴルゴン)の首、それは、幼児にとって未分化のカオスに自己を飲み込んでしまう母親であり、その〈おぞましさ〉の棄却、すなわち切断による自我の分離にささげられた犠牲のイコンが、その首のイメージなのだと・・。
メドゥーサやヨハネの首のように、斬首の物語をまとったイメージだけでなく、「聖骸布」のイエスの顔から、デスマスク、ピカソの彫刻やウォーホールの「マリリン」に至るまで、頭部のイコンに秘められた欲動が解析される。原始人の頭蓋崇拝やキリストの首には、生と死の分断をこえるためのイメージの要請があって、それは、喪失の悲しみや呪詛(じゅそ)とともに、復活と連続への愛を抱いている。
ルーヴル美術館のデッサン・コレクションによる企画であることにふれて、クリステヴァが冒頭に語る「デッサン、あるいは思考の速さ」が、まず美しい。ここで語られるブルガリア(著者の母国)の母が、子どものときに描いてみせてくれた素描の話からはじまる斬首のイコンへの時空をこえたクルーズには、人間とイメージのはるかな関わりの根のひろがりが、芳醇に引き寄せられている。
みすず書房/285ページ/単行本/ハードカバー /¥4410 (税込)
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