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本<鷹見明彦>


「知覚の宙吊り」
ジョナサン・クレーリー(著)、岡田温司(監訳)
平凡社

スペクタクル時代の形成期と画家たち

 映画や演劇を観たりするときに、私たちは、集中と同時にある麻痺の状態へと意識を切り換えている。それは知覚が産業によって統制されるようになる近代以降の社会のなかで、一般に広がり、常態となってきた感覚だが、個人の主体性を探求する表現者も、その極度の集中によって新たな知覚の構造化を行う一方で、解体というパラドックスを生み出すようになった。

 この大著で語られるのは、マネ、スーラ、セザンヌの3作品とその時代の文化の分析をとおしての、近代から現代への転換を特徴づける〈知覚の変容〉のパノラマである。ここでクレーリーは、いわゆる〈スペクタクル社会〉が形成される19世紀から20世紀への過渡期に、知覚を「注意(=アテンション)」という集中状態へと向けることで、意識の宙づり状態を生じさせる新たな知覚の組織化が進行した現象に注目する。

 マネ「温室にて」(1879)は、バタイユなどによっても言及されることの多い「バルコニー」(1868)と晩年の代表作である「フォリー・べルジェのバー」(1881)のあいだに描かれた。温室のベンチに坐る婦人に寄り添う紳士の構図が、一見、古典的に映る作品なのだが、交わらない2人の視線や表情、温室、ファッション、画面の真ん中に描かれた手の指輪などを手がかりとして、当時の流行やパノラマ、ステレオ・スコープなどの光学装置、マイブリッジによる連続写真、シャルコールやジャネのヒステリー研究やフェティシスムをめぐる心理学、精神医学の言説などが縦横に検証されていく。

 「リアリズムは、もはやミメーシス(模倣)についての問いではなく、知覚と綜合のあいだに生じる微妙な関係についての問いである。すなわち、それは彼が何かを結合しようとした「結果」であり、事物を「封じ込めよう」とした結果であり、あるいは崩壊という経験をかわそうとした結果である。またこの絵画に見られるのは、視覚の注意力のもつあいまいさへの複雑な取り組みであり―重要なのは、近代の知覚の論理における本質的な葛藤が形象化されていることである」

 スーラ「サーカスのパレード」(1888)は、代表作「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」(1886)の後に描かれた、早世の天才の晩年の作品。サーカス小屋のステージで演奏する楽士たちが正面から描かれているが、画面の中央に立つケープをかぶったトロンボーン奏者の姿が印象的である。スーラの作品は、新印象派の点描法について、分析的な色彩科学のシステムとともに語られるのが一般的だが、それが視覚的な統合にのみ向かうものではないことが、サーカスや演芸ホール、劇場、万博といったスペクタクル空間の誕生と波及や催眠効果、ゲシュタルト心理学などへのめくるめく言及のネットワークに明かされていく。馬の曲乗りを描いた「サーカス」(1891)では、初期の映写装置だったプラクシノ・スコープを画家が援用した可能性が推定されている。

 「スーラが示しているのは、芸術と知覚の近代化との提携が、いかに創出された自立的空間を構成し、観者にそれ自体の構築されたヴィジョンや真実を押しつけるかということである。視覚の機械化は、客観性や正確性とはいかなる本質的なつながりもない。むしろシュミレーション、イリュージョン、魔術のための新しい能力につながるのである」
 「スーラは、誰にもまして早くから、観照の産業化に関する根本的な何かを予感し、ヴァーグナーのように、映画の実際のはじまり以前に、本質が外見によって置き換えられる幻想的な光り輝くイメージの効果を先取りしたのだった」

 セザンヌ「松と岩」(1900ごろ)は、セザンヌ後期の作品群にあって、岩場から垂直に立つ4本の樹木を正面から捉えた縦構図が、はっきりとした結構を持つ作品である。リルケが、「新しい中心における始まり」と呼んだように、注意深く絵画の伝統にその構造を学びながら、粘り強い試行によって、因襲を破り、知覚が生動する新たな絵画空間と普遍性の構築へと向かった画家の気迫が伝わってくる。
 「1890年代の中頃から、セザンヌの作品の多くは、綜合ーまったく異質で、一時的に分散している要素の律動的な共存という意味におけるーの特性を徹底的に再考しはじめるのである。かくしてセザンヌの作品は、注意の固定、つまり知覚された世界の内容をつなぎあわせる代わりに、たえまない不安定化の動きのなかへと突入していこうとする主体=主観を定着させようとする」

 同時代のベルグソンやフロイト、デューイの知覚論やヴントの視覚心理モデル、高速度シャッターを備えた視覚実験装置のタキスト・スコープ、20世紀初めにエジソン社が作った映画「大列車強盗」などとセザンヌ作品の構造的な相関性やずれが、詳細に照合されている。
 「(セザンヌの作品は、)視覚が17世紀と18世紀における知の古典的秩序から追い立てられた後ではあるが、いまだその視覚が20世紀に始まる機械的視覚の管理体制のなかで、徹底的に再配分されるに至る以前のものである。
したがってセザンヌの作品は、造形空間の「破壊」というフランカステル的モデルや、その他同じような美術史的モデルと一致するものではない。むしろ、すでに解き放たれていた領域における発明と、新しさに関わるものなのである」

 転換期にあらわれた優れた画家たちの作品を時代の思潮や社会の流行と、広汎に比較検証しながら、それらが時代の反映にとどまらず、絵画というメディアの内にある普遍力と可能性の特質が、かえって大きく問いかえされている。「近代的な主体とはなにか」という根本的な問題を摘出しながら。

平凡社/554ページ/A5判/本体7200円+税

   
(2005/10/11update)
     
   
         
 
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