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本<鷹見明彦>


「断片からの世界」
種村季弘(著)
平凡社

こころの偏(かたよ)りの〈迷宮〉に通じた遺言

 種村季弘といえば、澁澤龍彦と双璧のようにして、その博覧強記によって読者を異世界の広がりと迷宮へと誘う無二の水先案内人だった。フランス文学の澁澤が、ラテン気質に同調する〈陽〉であったとすれば、ドイツ文学のタネムラ・ワールドは、ゲルマンの森の〈陰〉影と世紀末の頽廃の燻煙(くんえん)とともにあった。

 ある世代にとっては、「ザッヘル・マゾッホの世界」「謎のカスパー・ハウザー」の著者、マニエリスムという様式への注目の先がけとなった三島由紀夫推奨のG.R.ホッケ「迷宮としての世界」の翻訳者、そして美術雑誌で、ドイツ系のシュールレアリスムやウィーン幻想派などをカラクリ箱をひらくように紹介する美術評論の書き手としての印象もあったはずだ。

 「ゾンネンシュターンの画面を見るたびに、私の脳裡にはきまって、ドイツ語のKahlheitという言葉が浮かんでくる。鳥ならば羽毛を、樹木ならば果実や葉を、ことごとくむしり取られたあとの、ザラザラした生地だけがさむざむとむき出しになっている、余計なものを一切殺(そ)ぎ落とした、厳しい飾り気のなさ、そんな感触をいうのであろう。/彼の作品は好みやあまい審美主義からくる馴れ合いを、あらかじめきっぱりと寄せつけないのである。要するにそれは、道徳的な絵画なのだ。/だが、不思議なことに、この非妥協的な飾り気のなさ、いわば道徳的な自明さの只中で突如として色彩が炸裂するのである」
 「『ゾンネンシュターンの作品は、限定本でしか出せない。そうでなければ、世界のタガが外れてしまうだろう』こう言ったのは、ヘンリー・ミラーである。たしかにこの画面が成立するなら、われわれの世界のほうがバラバラに壊れてしまわなくてはなるまい。だからわれわれの世界は、躍起になって、彼の世界の成立を妨げてきたのであった」

 昨年夏の逝去から1年。本書は、美術論やエッセイを集めた遺著である。「迷宮としての世界」の訳者あとがきにはじまる美術をめぐる思考と散策は、マニエリスムからエルンスト、ゾンネンシュターン、ホルスト・ヤンセン、フックス、F.クレリッチ、オットー・ディックスといった著者の独壇場である海外畸人美術家の列伝、後年から晩年に多く書かれた若沖、からくり、怪奇草紙、錦絵など、江戸や日本の近世美術の異端に加えて、赤瀬川原平、中村宏、池田龍雄、佐伯俊男など、同世代の60年代前衛美術家や絵師、異能者たちへのオマージュを多く収録する。

 「覗き」「漫遊記」「贋物」「狂画人」「解剖」「魔法」「西日」「迷路」「没落」・・・本書に付されたキーワードの数々だが、思わず少年の日に手にした「迷宮としての世界」の美装本や、このなかにも書かれているカール・コーラップ、メクセパーといったドイツ、ウィーンの銅版画家たちの作品に惹かれた時期もあったことを思い出して、いつまでも隠れて遊んでいたかったのに足早に消えてしまった夕日の匂いがよみがえるようで、少々感傷的になってしまう。

 編者の後記によると、著者の生前から美術論集を編むプランは、練られていたらしいが、その逝去によって単行本未収録の稿と既刊の著書からの論稿も合わせて、1冊でタネムラ美術ラビリントスのエッセンスが概観できる編集となった。

 「体系的思考のほかに世には断片的思考ともいうべきものが存在していて、しかもその断片性はかならずしも未完もしくは不具であることを意味せず、断片相互の組合せや対応からほとんど汲めどもつきせぬ無限の構造を生成させるものなのだ。要するに、断片によってしか語ることができない世界があるのだ、私はそう考えたのである」

 ドイツ系の作家論の多くは、1970年前後に美術誌「みずゑ」で連載された後、「迷宮の魔術師たち」(求龍堂)に収録された列伝の再録。また日本の作家については、「奇想の展覧会ー戯志画人伝」(河出書房新社)の補遺である。一般や若い世代にとっては、馴じみのうすい美術家が多く紹介されているので、日本の作家のページのように小さくともモノクロの参考作品図版が全体に添えられていれば、より間口が広がったはずなのが残念。

 本書とほぼ同時期に、最後の自選エッセイ集「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房)も刊行された。紀行や江戸散策、追想の口述には、〈徘徊道〉の円熟が佳境を迎えていただけに、東西の粋(いき)と人間のこころの偏りに通じた文人との別れは惜しんであまりある。

平凡社/388ページ/A5判/本体3800円+税

   
(2005/12/5update)
     
   
         
 
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