「修復の理論」
チェーザレ・ブランディ(著)
小佐野重利(監訳)池上英洋+大竹秀美(訳)
三元社
〈修復保存〉ー人間の行為から作品とは何かを思索する
「修復」ということばから連想されるのは、どんな事柄だろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」やシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画や天井画の修復、あるいは、湿気やカビによる劣化で保存がいろいろと論議された高松塚古墳やキトラ古墳の壁画など、ハイテクを駆使してもむつかしい問題はあるらしい。もっと驚かされたのは、第2次世界大戦の空襲でこなごなに破壊された旧東ドイツ、ドレスデンの聖母教会が、保存されていたかけらを使って半世紀ぶりに復元されたニュース。
ヨーロッパでは、こうした歴史的な建造物を含む街の復元は、大戦後のワルシャワなど各都市の復興の先例も多いとすれば、奈良の古寺再建にくらべても、石の文化のスケールのちがいを教えられる。ここでの「スケール」とは、規模ではなく時間や歴史への感覚、観念のことー。
著者、チェーザレ・ブランディ(1906−1988)は、イタリアの古都シエナに生まれ、ローマ国立中央修復研修所を創設し、戦前戦後の20年間、所長を務めた。その後は、パレルモ大学、ローマ大学で美術史を教えながら、イタリアの文化遺産、歴史遺産委員会の委員長などを歴任し、ユネスコの文化遺産保護のミッションに従事した。
本書(原著1977刊)は、長年、中央修復研究所や大学で講じた著者の講義のエッセンスである。かつてない規模の戦乱の廃墟から再興された主要な文化財の修復保存への取り組みと実践の過程に、現代における文化遺産の保存と修復とは何かという命題を模索した思索の結晶が詰まっている。
「修復は、芸術作品の潜在的な統一性を回復することを目的とする。ただし、あくまでも作品の経年の痕跡を消すことなく、また芸術的な偽りや歴史的なねつ造を犯すことなく、作品の潜在的な統一性の回復が可能である場合に限られる」
こうした理論が作品に即しては、絵画ならば、板に描かれた古画の基底材とタブローの不可分の関係や壁画における場の問題、それぞれの時代の美意識による額縁と絵画、また建造物の総合性や街並みとの相関など、物理的な技術論に優先されるべき基本的な歴史認識と実存的な認識のバランスからの判断に立つことの重要性が説かれている。
「修復という行為に振りあてられる正当な唯一の瞬間は、受け手の意識内における現在という瞬間でしかないのだ。そこでは、芸術作品は瞬間にあり同時にまた歴史的な意味における現在である。しかし同時に作品は過去でもあり、歴史の中に位置してもいる。さもなければ、作品は人間の意識に属することがなくなってしまう危険がある」
「修復が正当な作業であるためには、時間を逆にさかのぼれるようなものと捉えられても、また歴史が除去できるものだとみなされてもいけない。さらに修復という行為は、作品の有する全体的な歴史性を尊重することが要求されるために、修復したことがわからないような秘密のものであってはならず、また時間と無関係なものになってはならない。修復は、人間の行為であるという事実ゆえに、それがあるがままの歴史的な出来事として明確にされ、また未来へ伝達するためのプロセスに芸術作品を加えるきっかけとならなくてはならない」
カントの美学を基礎にハイデガーやフッサールの現象学を学び、同世代の実存哲学の影響をうけて、イタリアの一般美術史や修復教育にも美学を導入した著者の視座は、大きく、また創見にみちている。空爆で破壊されたイタリアの文化遺産とその修復前・後の図版も興味深いが、「補遺」として収録されている古典絵画の修復については、ローマの壁画やアッシジのフレスコ画、中世の透明画など具体的な作品とその技法材料と修復法に関する記述も多い。
(本書のあとがきによれば、高松塚古墳の保存について、文化庁はイタリアの修復研究所からも修復家を招いて参考意見を求めながら、「(修復にあたっては)絵画の剥離(はくり)をもっと行うことが勧められる」といったブランディの教則は、まともに検討されなかったという)
とかく門外漢には退屈になりがちな技法書の類から本書を際だたせるのは、「修復の問題として額縁を取り去るか、保存するか」について、カントの『判断力批判』の一節から説くその思索にある。文化遺産に限らず、芸術、作品とはなにか、その本質を考える扉となる一書である。
三元社/283ページ/本体3000円+税 |