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本<鷹見明彦>


「武満徹|Vision in Time」
東京オペラシティアートギャラリー(編)
エスクァイア・マガジン・ジャパン

眼と耳のあいだにある世界のすべてに

 近年の展覧会の傾向として、美術家以外の表現者が、その生涯にわたって愛した美術品や交流のあった美術家の作品を展示する回顧展が人気を呼んでいる。小林秀雄、白州正子、瀧口修造・・。前者ふたりは、近代絵画、古美術、骨董(こっとう)、民芸など、後者は現代美術とジャンルは分かれるが、いずれも美術に造詣が深く、その文芸の主要なモチーフであること、また同時代の造形家へ大きな影響力を持ったという点は、共通している。つまり、資料や遺愛品などをひと通りならべて展示する展覧会とはちがって、ある人物の美意識を通して、美術品や造形物に親しむ企画なのである。

 ひとりの人物のまわりに集まった作品を主に観せるのは、一般化した骨董ブームから企画された益田鈍翁や松永耳庵といった、かつての大コレクターの展覧会にも通じるものがあるが、「梅原龍三郎ー晩年の造形と愛蔵品」展(2005)なども、コレクターでもあった洋画の巨匠が生前に所蔵したコレクションを集めて、若き日に師事したルノワールやピカソの作品などとともに、参照したと思われる金泥を使った屏風絵や大津絵、鉄斎、エーゲ海やエジプトのコプトの古美術品、直接モチーフにした中国骨董の皿やマジョリカ陶の壷と梅原作品との比較展示によって、その創作を包んでいた豊かな美の世界が開かれていた。

 本書をカタログとする現代作曲家、武満徹の回顧展(4月9日ー6月18日、東京オペラシティアートギャラリー)も、こうした展覧会の流れにそったひとつの機会といえた。国際的な評価が一段と高まっていたToru Takemitsuが亡くなったのは、1996年。65歳だった。その後、ますます演奏会やCD,刊行物がふえた作曲家の早世を惜しむように、没後10年を記念するコンサートや催しが世界各地で開かれている。

 音楽家の展覧会といえば、楽譜やピアノなど愛用品の展示がふつうで、今年生誕250年のモーツァルト展などを覗いても、ほかに観る物といえば肖像画
やゆかりの街や住居などの写真ぐらいだが、武満徹の場合は、本書でも明らかなように美術や美術作品との関わりがじつに豊富である。

 それらはおおまかに言って、3種類に分かれる。まず、作曲家が好んで時に楽想を得たルドンやクレー、ミロ、村上華岳などの作品。そして交流のあったジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、イサム・ノグチや駒井哲郎、加納光於、堂本尚郎、宇佐美圭司など同時代の現代美術家のグワッシュや版画など。またデザイナー杉浦康平と共作した図形楽譜、本人の手になる瀧口修造仕込みのデカルコマニー(絵の具を塗った紙やガラスを重ね合わせてはがした時にできる偶然のイメージによる作品)や水彩画などもある。

 ルドンは、「眼を閉じて」という同じモチーフを油彩、パステル、石版画などにしているが(そのうちの何点かは日本の美術館にある)、その絵から「閉じた眼」(1979)というピアノ曲と「ヴィジョンズ」(1990)というオーケストラのための曲がつくられた。ピアノ曲のほうは、作曲家が若いころから私淑(ししゅく)した恩師である瀧口修造へのレクイエムである。クレーの作品も、何曲かのタイトルになっている。全集がでるほど多くのエッセイも書いた作曲家の文章にあって、美術は、大きなウエイトを占めている。21歳のときに美術雑誌アトリエのクレー特集に寄せた「パウル・クレエと音楽」(1951)は、武満の文筆家としてのデビュー作とか。

 「音楽には、数学にも似た宇宙的なロジックがあります。ークレエの絵画は、この意味での音楽的な必然性がリズムをもって、たえず動いていて、それが彼の幻想や神秘な想念に美しい秩序をあたえているのではないでしょうか」

 クレーの作品からは、「マージナリア」(1976)やギターのための「すべては薄明のなかで」(1987)が、ミロの作品からは、ギター、オーボエによる協奏曲「虹へ向かって、パルマ」(1984)といった楽曲が生まれた。すべて同名の絵のタイトルに拠っている。また「夢の縁へ」(1983)というギターとオーケストラのための協奏曲は、夢の情景を描くベルギーのシュールレアリスムの画家ポール・デルボーに捧げられている。

 「人間は、眼と耳とがほぼ同じ位置にあります。これは決して偶然ではなく、もし神というものがあるとすれば、神がそのように造ったんです。眼と耳。フランシス・ポンジュの言葉に、『眼と耳のこの狭い隔たりのなかに世界のすべてがある。』という言葉がありますが、音を聴くときーたぶん私は視覚的な人間だからでしょうがー視覚がいつも伴ってきます。そしてまた眼で見た場合、それが聴感に作用する。しかもそれは別々のことではなく、常に互いに相乗してイマジネーションを活力あるものにしていると思うのです」

 人生の折々に創造と思索をめぐって綴(つづ)られたことばと関連する写真、60年代の前衛時代のポートレート、曲想を育んだ多摩湖や信州の山荘周辺の風景、家族、友人、ピアノ、本棚など日常のスナップや前述したような美術作品の図版によって、この傑出した作曲家にして美の思索家の輪郭(りんかく)をたどるアンソロジーが編まれている。編集もレイアウトも簡潔に要所をよくまとめている。
  巻末の年譜とCDガイドもあわせて、武満徹の世界へのよき道案内となる好著といえる。

  最初には、19歳の時に作曲したピアノ曲の手書きの楽譜。終戦後の貧困の時代に作曲家を志した武満が、紙でつくった鍵盤で作曲したり、ピアノの音が聞こえてくる家があると弾かせてもらいに訪れたというエピソードは有名である。そして最後には、やはり鉛筆による手書きで6小節まで書かれて絶筆となった《ミロの彫刻のように》と題されたオーケストラ曲(1995)の楽譜が収められている。緻密に生動する精神の心電図のような記述・・7小節目から先に広がる空白が眼にしみる。

 展覧会の会場には、より多くの自筆楽譜が展示されていた。ルドンやクレーの作品はともかく、もっともこころに触れてきたのはそれらの手書きの楽譜だった。楽譜も印刷されるようになったのは、18世紀の終わりの頃からでそれまでは筆写譜だった。あのバッハもその楽譜が出版されるようになったのは、40歳を過ぎてからだったという。武満徹であれば、ある時期からは楽譜はすぐに出版されて世界中の演奏家がその譜面から音楽を奏きだそうとするようになったのだが、自筆楽譜は、原稿といえる。「視覚的な人間」という作曲家が描くスコアは、それ自体未知を訪ねていくドローイング(素描)のように映る。

 個人的な憶い出をたどると、武満さんは、そのピアノ曲や室内楽、文章と同じように簡潔で強靱さを秘めた手紙を書いたが、飲んで話せば、フランクな人柄だった。1982年の秋、現代タンゴの演奏家アストル・ピアソラの初来日が60歳を過ぎて、ようやく実現した前後にまだ知る人も少なかったピアソラ・ファンの仲間?として会う機会があったのが縁だった。現代音楽や現代美術の話はしなかったのは、よかったのかも知れない。焼鳥屋での話題といえば、当時好きだったピアソラのタンゴやキース・ジャレットのソロ・ピアノ、ジョージ・ラッセルというモダン・ジャズの不遇の天才作曲家のことなどだった。その後、武満さんは招聘元でもあった友人の編集者のリクエストに応えて、ピアソラのコンサートのちらしにこころのこもった談話を寄せてくれ、キース・ジャレットとは、84年に対談した。「どうせTくんは、(ぼくの音楽より)ブライアン・イーノのほうが好きなんでしょう」と言われたときの声などは、たまに武満さんの曲を聴き返していると、よみがえってくることがある。武満さんは、もともと高踏偏狭な現代音楽の作曲家らしからぬジャンルにとらわれないリスナーだった。生活のためにも前衛映画だけではなく、黒澤映画からTVドラマまでたくさんの映画音楽を作ってきた影響もあったはずだ。いまから思えば、一時期の前衛志向をぬけて、後年は本人いうところの「ロマンテックになって」いった過程で、ピアソラやキース・ジャレットなどの音楽にも親愛をよせて、痩せていく現代音楽に豊穣を取りもどそうとしていたようにおもう。当時キースに対して、高橋悠治、湯浅譲二などの現代音楽家たちが敵意むきだしの論評やコメントを出していたのとは対照的だった。

 そのしばらく前から武満さんは、水や雨のイメージによる曲を多く書くようになっていたが(本書にもそのモチーフになった東京郊外の自宅近くの貯水池の話と写真が収録されている)、私の好きな「ウォーター・ウェイズ」(1977)という八重奏曲について、その私が少年のころから馴じみのあった貯水池の渇水時に湖底にあらわれる源流があるという話は、見開かれた眸(ひとみ)のように水面を静止させている湖水の風景とともに忘れがたい。1984年東京・渋谷パルコの西武劇場での「今日の音楽」で、ヴァイオリンのデュオ、ヴァイオリンとピアノによる珠玉の小品「揺れる鏡の夜明け」、「十一月の霧と菊の彼方から」を聴いたときは、まだひっそりと演奏を味わえる雰囲気があったのだが、同年に上野の東京文化会館で「ノヴェンバー・ステップス」などの代表作を集めて行われた「作曲家の個展」になると、すでに会場は満員で、終了後にロビーでファンの熱狂に取り囲こまれた小柄な作曲家の姿は、「市場のキリスト」に重さなって見えた。

エスクァイア マガジン ジャパン/224ページ/本体2,400円(税抜)

   
(2006/7/1update)
     
   
         
 
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