「中世の身体」
ジャック・ル=ゴフ(著)、池田健二、菅沼潤(訳)
藤原書店
まわり道して見えることがある
「中世」 − 一般にいうヨーロッパの中世とは、ローマ帝国の権勢が衰えて、4世紀後半にはじまったゲルマン民族の大移動と東西にローマが分裂するころから、15世紀末のルネサンスまでのおよそ1000年間をさしている。
その期間を「中世」としたのは、ギリシア・ローマを古代、ルネサンス以降を近代とした場合にその「あいだの時代」という意味で、こうした時代区分がいわれるようになったのは、ブルクハントなどによるルネサンス史観が主流となった17世紀からだった。
ロマネスク、ゴシックから初期ルネサンスを含むその文化は、ヨーロッパ各地に建立されたキリスト教寺院や大聖堂とその彫刻、ステンドグラス、モザイクやフレスコ壁画をはじめ、ヤン・ファン・アイクの祭壇画やランブール兄弟による時祷書、「薔薇の名前」や「ダ・ヴィンチ・コード」にも出てくる修道院にのこされた装飾写本など、今日の私たちの眼から見て「ヨーロッパらしさ」の原形と感じるような、西欧の文化と造形の基盤が生みだされて、その骨格が築かれていった時代であった。
都市とともに商業や金融が発達し、キリスト教の神学にとどまらないスコラ学をはじめとする学問や思想が、パリやボローニャなど各地に設立された大学を中心に研究されるようになった。
ヨーロッパの文化を理解するうえでまさに土台となる時代なのだが、このような中世という時代に対する評価や研究は、さきに記したようなギリシア・ローマ文化の再生によるルネサンス(復興)を近代への扉とする文化史観によって、比較的近年まで長いあいだ、影のなかに封じられてきた。
「中世」とは、その後半にヨーロッパをおおった災厄の嵐ーペストの流行、百年戦争や魔女裁判などに見られるような暗黒時代であったというイメージが流布し、リルケが「マルテの手記」で謳(うた)ったクリューニー美術館の「一角獣と貴婦人」のタペストリー(本書の表紙)への賛歌などは、少数派だった。
中世の実像の再生について、フランスのアナール派とよばれる歴史学者たちが果たした役割と業績は大きい。ブローデルの「地中海」やフィリップ・アリエスの「子どもの誕生」、「死の歴史」などの著作が与えた影響は、構造主義と伴走するようにして広く反響をよんで、わが国でも阿部謹也(西洋中世)、網野善彦(日本近世)、山口昌男などを通して、画期的な歴史像の転換が行われる原動力にもなった。
著者は、アナール派の第三世代として、パリの社会科学高等研究院にあって歴史人類学を牽引(けんいん)してきた。
「なぜ中世の身体を問題にするのか。身体は歴史の重要な欠落の一つであり、歴史家は身体を忘れ去っているからである」
〈ひとつの全体〉のキリスト教化によって成立した「西欧」では、キリスト教の戒律にもとづいて罪深い現世の肉体は、解脱すべきものとしてタブー視され、磔(はりつけ)のキリスト、アダムとエバ、天国と地獄、苦行者など、たくさんの身体的な図像がその信仰をあらわすイメージを語り伝えるために表現された。
中世の人びとは、制度化されたその反身体の逆説のなかに、たくましく深い感情や表現を内在させた。
「アダムとエバは、中世における人間の両義性をそのまま体現している。彼らは原罪の報いであるその裸身を隠そうとしている姿で描かれている。しかしまたその一方で、彼の体
ー 原初の無垢(むく)と罪をともに想起させる体 ー の表現は、神が与えた美を描く機会であらねばならない。13世紀以降ひんぱんに見られるようになるアダムとエバの表象は、人間の裸体が中世の人間たちを惹きつけた証言である」
アッシジのフランチェスコの公衆の面前での脱衣行為、描かれた血や涙にこめられた喩(たと)えと感情、出産、死、断食とグルメ、病と医療、スポーツ・・・縦横な中世美術と文献の参照をとおして、「身体とたましいとの緊張関係」がたどられていく。
「身体は今日、新時代の変化の中枢になっている。遺伝子工学から細菌兵器、感染症の治療研究、労働における支配の新形態、モードのシステムから栄養摂取の新様式、身体規範の賛美から自爆テロ、性の解放から新たな疎外まで。中世へとまわり道し、そこにある一貫性と分裂をみることで、現代はもう少しよく理解できるようになる」と、著者はいう。
先に訳された中世史家としての経歴とエッセンスを語った「中世とは何か」(藤原書店)とともに、今日的な視野で中世と西欧文化を理解するためのよき入門書である。
藤原書店/302ページ/本体3,200円(税抜) |