「左右/みぎひだり」
屋名池誠、宮元健次、守屋正彦、鷹見明彦ほか(著)
学燈社
食事のマナー、仏像の配置、ポップ・アートの構図のもとには
交通の基準、文章の形式、箸(はし)置きの方向、きき腕、右脳と左脳、DNAらせん(右巻き)、地球や天体、銀河の回転・・・。私たちの意識は、日常的にも潜在的にも、「左右」という方向性に影響されている。
地球上に限れば、それは重力と前方に2つの眼をもつ私たちの身体性によるところが大きいが、自然科学から文化一般にわたって、その実相が語られるなら、私たちにとっての、もっとも基本的な世界像のあり方が明かされるはずだ。以下は、「左右」について各分野からの論考をあつめた本書の一部をダイジェストで
ー。
旧約聖書の天地創造神話にみられるように、神話は二分法によって世界を物語ることで普遍性を獲得した。それはペアの身体器官をもつ人間がその身体モデルから世界像をとらえる傾向に由来している。しかし一方で文化は、二分法を原理とする対称性を許さずにその分割を不平等に価値づける。ラテン語、フランス語、英語などでは「右」は正義や幸運を、「左」は悪や不運をその語源とすることや、ヒンドゥー教では、食事は右手に限って、左手は不浄として峻別するのもそのあらわれといえる。・・・(『神話の世界と左右』)
左右をめぐる知覚にもとづいて表現された造形は、対称(/非対称)、鏡像、うず巻きなどを要素やモチーフとしてきた。大自然のリズムや構造に近い原始美術は、その非対称性にらせんや渦まきなどの形象を多く表したのに対して、エジプト、メソポタミアなど砂漠に生まれた一神教の古代文明では、対称性が基本であり、多神教のギリシアを例外として、キリスト教によるロマネスクやゴシックといった西欧の中世美術もその支配下にあった。鏡文字を書いた左ききのレオナルドをはじめとする盛期ルネサンスの芸術家たちは、非キリスト教的な智慧に通じて、宗教画の衣装のうちに非対称の構図と動きに見られるような多面的な人間性と自然の奥義を再生した。「モナ・リザ」などのレオナルドの肖像画は、右向きが多いが、群像の多くと自画像は左向き。フランドルやオランダなどの近世絵画では、絵画制作に鏡像効果を利用した暗箱カメラが用いられて、鏡像が注目された。・・・(『美術の伝統と現代美術の左右』)
バロックから近代絵画への道のりは、対称性の呪縛からいかに絵画や彫刻を解放するかという試行の歴史であったともいえるが、たとえば中心軸や水平を意図的にずらしたセザンヌの構図法に対して、ラファエロ前派やクリムトなど復古的な象徴主義の絵画では、別な展開もあった。ウォーホールのポップ・アートでは、スープ缶やモンローの肖像写真を消費社会のイコンに仕立てるのに対称軸が使われている。環境問題が明らかになった時代のアースワークなどの現代美術では、原始美術にもつながるような非対称、らせんなどの形象による作品が増えた。・・・(同上)
絵巻や屏風絵の時空間は、右から左へと展開される。それは和文の書字方向の伝統や慣習にもとづいている。主人公の動きにそった時間と場面が右から左に(原則的に)展開するのは、絵巻の「開展方向による時間の方向性」と「動画効果による時間の方向性」を一致させるためである。ただし主人公が静止している場合は、人物の向きは一定ではない。・・・(『絵巻の時空構成を書字方向から考える』)
仏画や仏像の配置は、見る側(拝む側)ではなく、中心の釈迦(しゃか)を基準に決まっている(皇居を基準とする古都の左京、右京も同じ)。禅僧の肖像を描いた「頂相(ちんぞう)」には、その人物をたたえる賛(さん)が記されているが、漢文の左右は、肖像の向きによって変わる。これらの配置は、いずれも表現された聖性や権威にもとづいている。・・・(『仏教美術と左右』)
神社のしめ縄は、右側が太く、左が細くなっている。これは右が上位で生を、左が下位で死を意味する概念によるが、出雲大社のしめ縄だけは、大国主命(おおくにぬしのみこと)の再生を封じるために逆になっている。日本建築の引き戸も、着物同様に右前である。左前は、家から死者がでると忌(い)みきらわれた。能や歌舞伎の劇場の舞台で左手に設けられる「橋がかり」は、この世とあの世のあいだを流れる三途(さんず)の川にかかる橋である。・・・(『日本建築と左右』)
日本舞踊には、左右相称性をきらうといわれる日本文化の特質がよくあらわれている。とくに近世の歌舞伎は、「傾(かぶ)く」精神によってその傾向をつよめた。舞台は、客席から見て右を上手(かみて)、左を下手(しもて)とする。登場人物は、例外をのぞいて左か中央の花道から出てくる。役がらと性差によって格づけされた人物は、かならず格や身分の高い者が右に位置する。「もろ肌を脱ぐ」というのは、両方または片方の袖(そで)を脱いで肩を露出することで、「物狂い」の人物をあらわす作法による。・・・(『舞踊の左右ーその非相称性の美』)
「川端康成の『片腕』は、その身体の自明性を壊すことで、対称や左右という問題を考えさせる小説である。身体の延長上にある空間的左右ではなく、対称性を前提にした左右でもない、身体そのものの左右を問うようなこの異色小説を見てみよう。『片腕を一晩お貸ししてもいいわ。』ー小説は唐突にこの言葉から始まる。」・・・
・・(「身体の左右、左右の身体ー川端康成『片腕』『古都』『隅田川』」)
学燈社/185ページ/本体1,700円(税抜) |