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本<鷹見明彦>


「アンリ・ルソー 楽園の謎」
岡谷公二(著)
平凡社ライブラリー

〈楽園〉を描いた画家のゆくえ

 アンリ・ルソーの絵を想像すると、どんなイメージが浮かんでくるだろうか? エグゾティックな動物や人物をつつむジャングルや砂漠の風景、正面を向いて並んで静止した人物たち。・・・どれも丁寧なぬり絵のようにフラットな描き方で描かれたそれらの作品は、一見子どもの絵のような、素朴派(ナイーフ)あるいはアウトサイダー・アートといわれる作品の元祖のようでもある。でも、ほんとうにルソーは、「素朴」だったのか?

 たしかにいちど見たら明らかにイメージが写り込むその画風の人気は幅広いのだが、また一方でピカソをはじめとするたくさんの絵の玄人(くろうと)たちが、ルソーの絵に魅せられて影響を受けている。ピカソは長い間ルソーの絵は手放さずにアトリエに置いていた。よく知られているようにルソーは、中年まではパリ市の税関につとめる下級官吏であり、「日曜画家」だった。いわゆる美術学校の教育を受けなかったという点では、アマチュアだったが、当時のアカデミズムを基準とすればそれは事実としても、絵画の骨組みといった本質において、ルソーは大画家の素質に恵まれていた。残された絵の堂々とした〈躰格〉がそれを示している。

 本書の後記によると、近年反響の大きかったルソーの回顧展(1985〜86年パリ・グラン・パレ/ニューヨーク近代美術館、「パリのジャングル」展 2005〜06年ロンドン・テート・モダン/パリ・グラン・パレ/ワシントン・ナショナル・ギャラリー)では、「絵の具の使い方さえ、ろくに知らない」という生前の酷評に反して、とくにその晩年の諸作は昨日描かれたばかりのような画肌と色彩を示した。
  伝記は、しばしば天才をいたずらに戯画化したり伝説にしてしまうが、作品が示していることを見誤ると、ルソーという〈大いなる謎〉にはせまれない。

 本書は、ルソーの生涯をその周辺と時代に丹念に後づけながら、現代への転換期にあらわれて、古びることのないこの天才画家の謎の真相を追跡する。著者は、過去を追う探偵のように画家の生まれ故郷、フランス西北部のラヴァルを訪れ、また記録の彼方のモンパルナスを歩く。
  パリで貧苦のうちに死んだ画家の生家は、旧い市街にそびえる中世の塔のなかというなぞ。(ルソーの家は代々ランプをつくるブリキ職人だった。近代画は素人でも、子供のころから教会のステンドグラスや装飾を造る人たちのなかで育った。ルソーがよく描いたパリ郊外の風景には、故郷ラヴァルの景色が重なっている)

 幼児性を生涯持ちながら、子ども時代をまったく語らなかったなぞ。(不動産業に狂った父の経済破綻と押しかける借金取りたち。遊び人の父と軍人の家で育ったきびしい母の不仲。図画と音楽だけが得意な息子への無理解)

 ナポレオン三世の軍楽隊にはいってメキシコへ行ったという伝説のなぞ。(アポリネールをはじめとする友人たちは、よくルソーから異国の話を聞かされた。その作り話は、熱帯の絵のように細密だった。軍隊に入隊はしたが、二等兵は普仏戦争の後方勤務。軍隊仲間の自慢話の受け売りと軍功、勲章へのあこがれは、母から聞かされて育った母方の祖父や曾祖父の武勲へのコンプレックス)

 少年期と後年二度の逮捕歴と経歴隠ぺいのなぞ。(19歳のとき、仲間の少年2人とアルバイト先の弁護士事務所から小額の金銭を窃盗する。情状酌量されるが、名誉回復のために軍隊に志願入隊。63歳のときには、銀行詐欺に連座して投獄。禁固二年、執行猶予つきの判決をうける。)・・・・。

 ルソーが描く人物たちや子どもの顔は、まず無表情に見えるが、そのどこかに怒りをおさえているような気配が気になって見つめていると、以前からこちらがじっと見つめられていたことに気づく。

「子供を愛らしいと考えるのが、子供に対する優越感から生まれた大人の偏見であることは、同年輩の子供が時に激しい恐怖や嫌悪の対象であった私たちの幼年時代を思い出せば、すぐにわかることである。ルソーは、子供に対して決して優越感を持たない。彼は子供と同じ平面で向かい合う。・・・」
「子供だけでなく、すべての風景や静物も含めて、すべてのモデルに対して、優越感を持たない。多くの画家は、対象に対して心の余裕を持っている。しかしルソーにはそんな余裕はない。対象はいきなり彼を鷲掴(わしづか)みにしてしまうからである。ルソーが、つねに正面性に固執し、またついに最後まで遠近法になじめなかった理由がそこにある」

 ゴーギャンも熱烈なルソー・ファンのひとりだったが、ルソーは実際にはいちども熱帯に行くことなく、ジャングルを描きつづけた。タヒチにまで〈楽園〉をもとめて移住したゴーギャン。ふたりの対照にも、ルソーの個性が浮かび上がるが、描かれたその〈楽園〉は、閉ざされたこころの奥深くで夢見られたヴィジョンにほかならない。記念写真や絵はがきの構図にも似たその絵が、人をつよく惹きつけるのは、その表面に丹念に塗り込められたこころの深層の声のこだまが響いているからだろう。

 それにしても画家自身が「異国風景」とよんだジャングルの絵は、いかにして描かれたのか?(植民地の拡がりによってもたらされた異国趣味という時代の流行は、1889年のパリ万博で頂点に達した。ルソーも旅行記や異国の記事が載った新聞や雑誌の挿絵、写真に心惹かれてよく引用している。また熱帯の植物を集めたパリ植物園の温室へはよく足を運んだが、同郷の管理人が時間外でも入れてくれたので、閉園後の無人の園内で植物たちとひとり語らうことができたという伝説は、事実らしい)
 
  「マルグリット・ユルスナール(フランスの歴史小説家)の『東方奇譚』の中に、「老絵師の行方」という短編がある。自分が描いた海景の中を、小舟に乗って弟子とともに遠ざかり、ついに画中に姿を消した中国の絵師の話である。この絵師と同じように、たぶんルソーも、自分の描いた熱帯の原始林の中に歩み入ることができる、と信じていたのだ」

 ◎「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢ールソーに魅せられた日本人美術家たち」展(10月7日〜12月10日、東京・世田谷美術館):ルソーの作品20点と素朴派の作品ほか、ルソーに影響を受けた藤田嗣治、岡鹿之助、三岸好太郎、松本俊介、有元利夫、植田正治など40作家の全140点。

 本書は、上記の展覧会にあわせてよみがえった新潮選書版(1983)、中公文庫版(1993)の復刊である。
  (同じ著者の、エグゾティズムとフランス近代絵画の関係を考証した『絵画のなかの熱帯』平凡社について、本サイトのバックナンバーに紹介がある。)

平凡社/308ページ/本体1,300円(税抜)

   
(2006/11/6update)
     
   
         
 
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