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本<鷹見明彦>


「ヒトの変異」
アルマン・マリー・ルロワ(著)、上野直人(監修)築地誠子(訳)
みすず書房

ミュータント(変異体)と美の多様性をめぐる対話

 プラド美術館やルーヴル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリーへ行くと、わたしたちはベラスケスやヴァン・ダイクほか、いまや作者のわからない画家の手になる名画のなかに描かれた〈宮廷の小人たち〉と出会う。いちばん有名なのは、プラド美術館にあるベラスケスの「ラス・メニーナス」で幼い王女に仕えている侍女たちだろう。

 王族や貴族の肖像とその身辺を描いた絵画にしばしば小人たちの姿を見かけるのは、ヨーロッパの貴族のあいだで彼らを召し抱えることが流行った時代があったからだ。彼らのうちある者は、その美貌や才覚によって貴族たちに寵愛(ちょうあい)されて、社交界に生きることができた。

 ポーランドのクラクフ国立博物館やイギリスのダーラム市庁舎に肖像のあるヨゼフ・ボルブラスキの身長は、99センチだったが、ポーランドの片田舎の貧しい家に生まれた彼は、その幸運と才覚によってウィーンやパリの宮廷でマリア・テレジア、マリー・アントワネットらの知遇をえて、亡命中のポーランド王からは爵位を授かった。後年にはイギリス王室から庇護(ひご)を受けて、ダーラム市が誇る市民となり98歳まで生きて天寿をまっとうした。

 成長ホルモンの異常や骨の発育不全による小人、クレチン症などの脳下垂体異常による巨人症、胴体と臓器の一部が結合した双生児、X染色体とY染色体がもたらす性反転・・・。現代医学では、先天的な、あるいは化学物質や薬物の副作用などによる遺伝子異常と原因が究明された身体の奇形だが、長い歴史のなかでは、さまざまな誤解や憶測を生んできた。

 遺伝子のほんのわずかな変異が、姿形の大きなちがいをもたらすことにもよるが、そのギャップは一方で神話的な想像力をかきたてるとともに、また他方では、異人、怪物といった差別をつくりだした。
  ロンドン大学で発生生物学を研究する著者は、西欧の文化史のなかにちりばめられた身体の奇形にまつわる多様な事例の検証をとおして、「私たちはみなミュータント(変異した存在)なのだ。ただその程度が人によって違うだけなのだ」という認識へと誘っていくー。

 ロートレックは、ムーラン・ルージュの踊り子や歌い手、娼婦たちをすぐれた素描力でとらえたが、彼女たちの肖像の多くは、洞窟のような鼻孔を暗く開いている。身長150センチほどだった画家の視点から見上げるようにして描かれた臨場感が、そこにはあらわれている。ある時期から画家が人物の手足を描かなくなったのは、自身の苦痛とコンプレックスの元であった脚をフレームから排除したかったからだろうか・・。

 近年では細胞のタンパク質酵素が不足して起こる「大理石骨症」と推定されているロートレックの場合、それでも正確な症名が定まったわけではない。骨の疾患は千差万別で、伝記や数枚の写真から診断するのが困難であるせいだが、南フランスの名門貴族ロートレック伯爵家の一族には、彼以外にも同じ症例の者が複数いたらしい。ナポレオンが相続制度を変えると、貴族たちは、財産を守ろうとして血族結婚に走った。画家の両親もいとこ同士だったという。

 ウィーンの美術史博物館やナポリのカポディモンテ美術館には、顔の全体が濃い毛でおおわれた人物たちの肖像画が遺されている。これらは寓意画の想像上のキャラクターではなく、かつて実在した種族の肖像である。彼らはカナリア諸島に住んでいたグアンチェ族で、16世紀のなかばにフランスの王宮に連れてこられた後、イタリアやオーストリアの宮中で暮らした。かれらの種族はのちにスペイン人によって絶滅されてしまった。
  医学的にみると、「毳毛(せいもう)多毛症」とされる遺伝子異常の症例である。19世紀のヨーロッパの人類学者たちは、その白い肌の優越意識から肌の色で人種を分類したが、中国・清朝の学者たちは、毛の多い少ないによって分類を行い、その基準で分布地図を作った。フランスから帰国した学者は、「フランス女性には口ひげとあごひげがある」と記している。中国人は、多毛症の種族を「野人」としてサルと同列に愛玩していたヨーロッパ人を、サルの仲間にたとえた。

 18世紀イギリスの風刺画家ホーガースの銅版画には、去勢によって〈黄金の声〉を作り、当時スカラ座などのオペラ劇場でその美声を競った〈カストラート〉とよばれた歌手たちの姿が描かれている。イタリアでは年間四千人の少年が去勢されたというが、〈カストラート〉となって成功できたのはほんのひと握りの者だけだった。ホーガースが描いたように彼らは、美声と引き替えに長身で不格好な体格となって乱暴な去勢手術の後遺症に苦しんだ。

 色素欠乏による白皮症のアルビノ、豊穣多産の女神アルテミス像に重なる多乳房症、アウシュヴィッツ収容所で〈死の天使〉と怖れられ、裁かれることなくブラジルに逃げ延びたナチスの医官メンゲレが行った実験、老化の原因として近年浮上した遺伝子や細胞を酸化させる分子の「フリーラジカル」真犯人説や長寿についてなど、遺伝子学と文化の環の光と影をつなぐ話題はつきない。

 著者は、最後に〈進化論の父〉への敬意をこめて、多様性と美について語る。

 「彼(ダーウィン)は、『人間の進化と性淘汰』のなかで、美の存在・認識・目的の研究に多くのページを割いている。『最も洗練された美とは、メスを引きつけるものであり、それ以外の何物でもない。』・・・生物が何世代にもわたって美しいものを選択していった結果、自然界は美で溢れている。このような性選択によって、マダガスカル・カメレオンは角を、極楽鳥やセイラン(クジャクに似た鳥)は美しい羽を、ヒトは多様性を持つようになった、と言うのだ」

 ダーウィンは、ギリシアの美にもルネサンスやヴィンケルマン(18世紀ドイツの美術史家)が説いた美の規範にもまったく言及していないが、その見識は、プラトンのそれと同じだった。プラトンの『饗宴』のなかでの巫女との対話で、ソクラテスは「愛の目的は子をもうけ、美を生みだすことだ」と教えられる。

 「彼(ダーウィン)が知りたかったのは、美とは普遍的なものなのか、特殊なものなのか。どこにでもあるものなのか、まれにしかないものなのか。・・こうした疑問に対して、彼ははっきりと答えた。肉体的な美しさは普遍的なものではなく、むしろ特殊なものであり、地域ごとにそれぞれ固有の基準がある。そして美はまれにしかないものだ。そして美に意味はない。わたしたちの脳は ー理由はなんであれー あるものを美しいととらえる。それ以外の資質に眼を向けずにそう思うのだ。だから美は何も意味しない。美はただそれだけのために存在する」

みすず書房/376ページ/本体3,360 (税込)

   
(2006/12/1update)
     
   
         
 
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