「美術愛好家の陳列室」
ジョルジュ・ペレック(著)、塩塚秀一郎(訳)
水声社
〈真贋〉の問題をめぐって
これは、ひたすらある1枚の絵の「絵解き」をプロットに展開する小説である。ハインリッヒ・キュルツというドイツ系アメリカ人画家が、20世紀のはじめにピッツバーグでビール醸造業を営むコレクターのために描いた「美術愛好家の陳列室」という絵には、コレクションの展示室に坐ったコレクターと蒐集された100点以上の絵画が描き込まれている。
画中に描かれたギャラリーの壁を埋めつくす絵は、コレクターがヨーロッパで買いあつめた宗教画から風俗画、静物画、海洋画などあらゆるジャンルの作品と、アメリカの当時の新興絵画などだが、ホルバイン、クラナッハ、シャルダンなど古典絵画の巨匠たちの作品や印象派の絵画も少なからず見つけられる。
こうした〈ギャラリー画(クンストカマー)〉は、16世紀末のフランドルで生まれ、ヨーロッパで個人コレクターの増加とともに流行した絵画ジャンルだが、小説は、1913年のピッツバーグで開かれた在米ドイツ人の記念祭典のイベントのひとつとして、キュルツの〈ギャラリー画〉に描かれたコレクションの展示室が会場に再現され、公開された様子を詳細に伝えるところからはじまる。
「ハインリッヒ・キュルツによる丹念な複製画を、原画とそれぞれ比較してみたいと思った来場者は多いことだろう。そしてまさにそのとき、思いがけない事実に驚嘆することになるのだ。画家は絵の中にこの絵(自作のギャラリー画)自体も描き込んでおり、陳列室に腰かけた蒐集家が、部屋の奥に視線を向けて見ているその絵には、絵画コレクションを眺めている蒐集家自身が描かれているうえ、彼が眺めている絵もすべてあらたに模写されているといったぐあいで、絵画コレクションは精確さをいささかも失うことなく、第一次、第二次、第三次と縮小してゆき、ついにはカンヴァス上に見えるのはあるかなきかの筆跡だけになってしまう・・」
評判を聞いて押しかけた観客は、ルーペで各大きさの複製に仕掛けられた間ちがい探しに熱中するあまり、会場は混乱し入室できなかった観客が腹立ちまぎれにインクを投げた事件によって、展覧会は打ち切られた。
「オハイオ大学芸術学部紀要」にのったある学者の論文は、若い画家がコレクターの風変わりな注文に応じて制作した〈ギャラリー画〉について、〈ギャラリー画〉が「絵画の歴史」そのものを描く絵画であることを記してから、つぎのように分析する。
「(画家の企みは)第二次、第三次と引き続く回帰像の内部に、自分自身の絵をさらに2点忍ばせるというものであった。1点はラフケ(コレクター)がこの画家から買った初期作品であり、もう1点は、はるか昔に構想されながらも下絵の段階にとどまっていた作品で、その「想像上の複製」は「ごく小規模」ながら、まるで「来るべき成果を先取りして実現している」かのようである」
「この作品が病的なまでに人々を魅了したのは、単に画家の技術が巧みであったからというより、空間だけでなく時間をも一望に収める構図によるところが大きい。というのも誤解してはならないのだが、とレスター・ノヴァック(論文の筆者)は結論づける。この作品は、芸術の死の象徴であり、モデルを果てしなく反復するほかないこの世界の、鏡像的省察なのである」
小説は、コレクターと画家の死後、〈ギャラリー画〉に描かれたそのコレクションの競売と、コレクターと〈ギャラリー画〉を描いた画家それぞれの伝記の出版へと進む。〈ギャラリー画〉はコレクターの遺言によって、その遺体とともに地下室に封鎖された。2人の伝記は、コレクションの成立過程と画家の経歴を明かすようで、競売もアメリカの有力コレクターや美術館長たちの注目のうちに行われたのだが・・・。
読者は、コレクターと画家の正体とともに最後にすべてが周到に仕組まれた復讐劇であったことを知る。そのフィクションを構成するために著者は、美術史はもちろん、競売カタログ、論文、雑誌や新聞のレヴューなど、美術やコレクションに関わる記述を真贋(しんがん)おり交ぜて集積させる。豊富に引用された絵画のリストや作品をめぐる言説は、相当の専門知識がなければその真偽を分けることはできない。つまり読者は、「ギャラリー画」の虚構を知ると同時に、物語の虚構を知るという二重の経過によって、いよいよ実像と虚像とが入りくんだ世界と歴史のあり方を知ることになる・・と言うべきか。
著者のジョルジュ・ペレック(1936ー1982)は、レイモン・クノーを中心に結成され1960年代のフランスの実験的な文学サークルとして知られた「ウリポ」の有力メンバーであり、言語遊戯を方法とする小説を書いた。本書(原作1978)のほかに、フランス語でもっとも使用頻度(ひんど)の高い母音である「e」を文章から消して、「リポグラム(文字落とし)」の方法で小説を書いた「失踪」(1969)、日常を構成している大小さまざまな空間を定義し記述した「さまざまな空間」(1974
邦訳・水声社)、自伝的小説「Wあるいは子供の頃の思い出」(1975 邦訳・人文書院)、パリの集合住宅に暮らす風変わりな住民たち(クロスワード・パズルに没頭する富豪など)の人生とそれぞれの来歴を多くの文学作品の引用とともにアパートの部屋の構造に並行するように描いた長編で代表作の「人生 使用法」(1978
メディシス賞、邦訳・水声社)などがある。
水声社/154ページ/税込価格1,575円
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