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本<鷹見明彦>


「食べる西洋美術史」
宮下規久朗(著)
光文社新書287 光文社

美は食に通じるか・・!?

 「食(グルメ?)と美術」ーというキーワードから想像される作品といえば・・ダ・ヴィンチを筆頭とする多くの「最後の晩餐」図の食卓、ヴェネチア派バロック絵画の大宴会、フランドル/オランダの風俗画や静物画に描かれた台所や食材、マネの「草上の昼食」・・・。

 私も以前、美術雑誌の特集で食に関わる作品を現代美術に限って選んだことがあったが、リストはたちまち増えてしまって満腹になる。「飽食の時代」といわれて久しい現在(いまだ食糧難と飢餓(きが)の国がある一方で)、グルメ番組やグルメ本が氾濫し、流行のレストランの出店や「デパ地下」、バレンタインの高級チョコレート商戦がニュース・バリューを持つように、文化人類学の研究成果を待つまでもなく、人類と社会の形成は、その食料の獲得と食生活の変化とともにあった。

 「料理は自然から文化への移行を示すのみならず、料理を通して、人間の条件がそのすべての属性を含めて定義されており、もっとも自然であると思われる属性ですら、そこに含まれているのである」(レヴィ=ストロース『生のものと火を通したもの』)
  部族のきずなを実体化する食料の分配や贈与、冠婚葬祭などの要(かなめ)となる共食の慣習、ファースト・フード、コンビニ弁当、政治スキャンダルによく登場する料亭談合の飲食の間にも、それぞれの社会と文化の本質があるといっても過言ではない。食に関する作品や記録のおびただしい量は、何よりもそのことを物語っていると言える。

 静物画の発祥といわれるポンペイ(古代ローマ)のモザイク壁画からアンディ・ウォーホールの「キャンベル・スープ缶」まで、西洋美術の歴史にあらわれた食に関する作品の年代記を企てた本書は、西洋文化と美術史の基本知識をおさえながら、たんなる専門的なイコノロジー(図像解析)の枠にとどまらずに具体的な作品の読み取りによって、食と人間文化の深い関係を明らかにしている。

 本書の副題に「『最後の晩餐』から読む」とあるのは、西洋キリスト教美術では他を圧する質量でそれが取り上げられることが多い主要モチーフであるという事情による。その晩餐のメニューといえば、パンとワイン。パンはイエス・キリストの肉(聖体)を、ワインは血をあらわし、それを食することで信者たちは神と一体化する。教会のミサにも欠かせない2つの食材だが、一般的にみても、それは和食の米とみそ汁にあたる。
  ダ・ヴィンチの晩餐図は、ミラノの修道院の食堂の壁に描かれた壁画である。修道士たちは、日々食事の時間に晩餐図を眺めて、信心を高めたはずだ。

 またこの絵は近年、「ダ・ヴィンチ・コード」以前に修復されたことでも話題を集めた。洗浄と加筆部分の除去後は、食卓に魚を盛った大皿が見えるようになった。魚は古来、最後の晩餐図に必ず描かれたメイン・ディッシュで、過越しの祭りに羊を食べるユダヤ教から分かれたキリスト教の肉食に対する禁欲を表すという。ただし、とくに初期の晩餐図では、羊あるいは鳥の場合もある。
  最後の晩餐図は、食事によって神の子とひとつになることを表したが、バロックのティントレットなどのスペクタクルな同図では、宗教改革後の教義の変化を反映して、キリストが使徒たちにパンを分け与える「聖体拝領」のシーンに変わっている。カラヴァッジョの代表作「エマオの晩餐」の登場人物は3人だが、これは最後の晩餐図のコンパクト版であり、16世紀に流行した。食卓には、パンとワインのほかにローストチキンと葡萄やリンゴ、ザクロを盛った籠がある。聖書では、リンゴは原罪をザクロは復活を表す。明らかに果物籠は画面手前に不安定にはみだし、リンゴは虫食いである。著者によれば、劇的な明暗に照明された手前のチキンや果物と奥のイエスの構図には、朽ちて滅びていく現世から永遠の霊への誘いが意図されている。

 晩餐図だけでも話題はつきないが、ヤン・スティーンやシャルダンが描く食前の祈り、ムリリョの貧者への食事の施し、「七つの大罪(大食)」の諫(いさ)めとして中世からよく描かれたどんちゃん騒ぎの飽食図、その寓意とともに詳細な生活の記録としてもディテールに興味が尽きないブリューゲルの謝肉祭や農民の宴など、食物を介する信仰のモチーフは、社会とともにより身近な姿に変化しながら豊富に描かれた。

 「ヴァニタス(死すべき運命)」の寓意として描かれた近世の静物画のなかの食材。オランダの静物画にたくさん描かれている果物にくらべて、実際の食事ではよく食べられていたはずの野菜は少ない。それはフランドルの市場の絵とは対照的で、そうした静物画を好んだ市民のあいだに野菜を農民の食べ物と蔑視する価値観があったからだという。スペインでは、サンチェス・コタンやスルバランによって、「ボデコン」とよばれる神秘的な宗教性をもつ静物画が日常の食材や食器のみをモチーフに描かれた。

 マネの「草上の食事」は、ジョルジョーネ「田園の奏楽」などに描かれた古典を当時流行のピクニックの風俗に大胆に置き換えてスキャンダルを巻き起こしたが、パンと果実しかない「昼食」はそのヌードを含む人物同様、リアリティを求めていない。モネやルノワールの野外の昼食の絵とくらべると、その差は歴然としているが、印象派の画家たちにとっては食事の内容への関心は二の次で、もっぱら光彩を織りなす画面づくりに熱心であったことが検証される。
  家庭からレストランやカフェへと食事の場も広がった。それと同時に産業革命後の社会の現実は、19世紀のドイツ画家メンツェルが描いた工場労働者の食事や青の時代のピカソの「貧しき食事」を生んでいく。そしてホッパーのガラス張りの深夜のカフェに沈黙する都会人の姿やウォーホールのキャンベル・スープ缶が描かれるようになる・・。

 本書と前後して、内澤旬子「世界屠畜紀行」解放出版社を読んだ。BSE狂牛病問題のさなか、世界各地の屠畜と食肉に関わる現場を体当たり取材で紹介したイラスト・ルポライターの報告記。日本最大の東京・芝浦屠場編もあるが、画期的なのは、沖縄、韓国、モンゴル、バリ島、インド、チェコ、アメリカ、エジプト、イランなど、生活とともにあり、また場所によっては目に触れることのないその現場と歴史、BSE問題をそこで働く人びととの出会いやそれぞれの土地に暮らした人びとの記憶を通して、即妙に伝えていることだろう。厳格なイラン・シーア派の屠畜場、犠牲祭のためにビルの家内で羊を飼うエジプトの都市の大家族、許認可が出ずに増え続けたインド・デリーのヤミ屠場、チェコの民間に伝わる豚の吊るし切り、韓国の犬肉事情、テキサスの大工場とカウボーイ・・。
  「食べる西洋美術史」が、食を語ることで生活文化と結びついた美術(史)への関心をもたらすように、この本も世界の広がりとそこにくり広げられる人間の営みへの眼をひらく。あとがきを読むと、どちらの本の著者も身体を壊したとあるのには、「腹八分目」という教訓を思いだした。

光文社/262ページ/税込価格924円

   
(2007/2/27update)
     
   
         
 
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