「空と海」
アラン・コルバン(著)、小倉孝誠(訳)
藤原書店
感性の歴史、その表象
アラン・コルバンは、フランスの歴史学の新潮流である「アナール派」を継承する歴史学者として旺盛な著作活動によって、その「感性の歴史学」を展開し、いまやもっとも脂ののりきった学者として注目されている。
19世紀半ばまで日光浴は危険視されていたが、健康医学の影響やリゾートの発生によって生じた海辺というトポスの変化を考察した「浜辺の誕生」、19世紀フランスの地域共同体にとって教会の鐘の音が果たしていた役割を追った「音の風景」、「においの歴史」、「風景と人間」・・・。「過去の人びとを知るには彼らのまなざしで眺め、彼らの感情を追体験する以外に方法はない」と語る歴史家は、過去の時代のなかで日常をとりまく要素であり対象となった現象が、人間の感性によってどのように知覚され認識されたかーそのイメージの歴史を再生する。
絵画、文学、日記、手紙、医学書や専門書の記述に残された気象や天候、音、におい、あるいは水陸のあいだの浜辺といった境界など、人の感性がゆらぐ領界や現象をめぐるイメージの精査を通して、ヴィヴィッドに〈忘れられたきのうの世界像〉が開かれる。
フィリップ・アリエスやル・ゴフ(本サイトBOOKのバックナンバー『中世の身体』参照のこと)などアナール派の前世代が、中世を語ったのに対して、コルバンが対象とするのは、17世紀以降の近代である。
「風景画」というジャンルが西欧美術に独立して登場するのが、17世紀以降であることからもわかるように、中世やルネサンスの大半の人間にとって風景は、近代人がそれを眺めたり、内なる本性と交響する自然として共感するような対象としては存在しなかった。それは、モンテーニュの「エセー」に語られた自然と、ルソーが謳(うた)う自然のあいだに、200年間に生じた人間精神の変化の大きさが読みとれることにも明らかだ・・。
カントやバーグによって定義された「崇高美」の流行は、「大気現象を根本から再解釈するよう促し、雷雨、嵐、暴風雨、竜巻、雪崩、氷河などを前にしたときに覚える情動の新たな布置をもたらした」・・・・ターナー「大サン=ベルナール峠(アルプス)」
「とりわけ1770年から1850年までの時代は、『気象的なものと主観的なものが束の間並行した』時代ということになる。あるいは主体の深化と、気象に対する感性の洗練が同時に進行した時代だった。このプロセスが、世界を描く絵画表象に気象学が侵入してきたのと同時期ということは注目に値する」・・・・カスパール・ダヴィット・フリードリヒ「雲」「雲海を見つめる旅人」
「17世紀オランダの海辺を描いた絵画は風景画の歴史と結びつき、神に愛でられし国オランダの勢力を称揚する意図を反映した海洋画の歴史とも結びついている。それはまた北ヨーロッパの魚が豊富な海辺と、聖書のなかで奇跡的な大漁の舞台となるティべリアス湖の岸辺を同一視しようとする教訓的な意図ともつながっている」・・・ロイスダール「嵐の海の小さな帆船」、ホイへンス「河口に浮かぶ船」
「フランスの貴族たちが親しんでいた画家たちは、きわめて強烈に海の表現を決定づけてしまったので、海を『見る』というのは荒れた海、嵐の海を見るということを意味したのである。マルモンテル(18世紀の作家)は初めて海を見た時がっかりしたと告白し、ジョセフ・ヴェルネ(海洋画を得意とした画家)の絵に描かれている海のほうが好きだと言っているくらいだ」・・・・・・ジョセフ・ヴェルネ「嵐」
ここではとくに絵画に関する記述のみを抜き出したが、いずれも同時代の文学やほかの文献との照合によって語られている。
この本は、2004年にフランス国立図書館で開催された「海ーその恐怖と魅惑」展における連続講演が元になって、それに2005年の日本でのシンポジウムの講演に基づく第4章が加わっている。巻末には、「アナール派」の方法と著者の立場についてのインタヴューもあるので、大著の多いコルバンの「感性の歴史」のエッセンスをコンパクトに伝える1冊ともなっている。
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本書もすぐれた「風景論」の1書とすれば、歴史家以前にその道を開いたのは美術史家であり、なかでもケネス・クラークの「風景画論」(原著・初版1949)という名著に触れないわけにはいかない。この本の日本版は1967年に岩崎美術社から刊行されたが、ついに今年、ちくま学芸文庫となって文庫化された。
1960年代のおわりにはケネス・クラークが監修したBBCの番組シリーズ「芸術と文明」が、NHK教育テレビで放送された。イギリス人らしくワーズワースの詩とともにコンスタンブルの風景画が語られた番組の印象とともに、
「われわれの周りには、われわれが造ったものではなく、しかもわれわれと異なった生命や構造をもったもの、木々や花や草、川や丘や雲がとりかこんでいる。・・・」という書き出しからはじまるその「風景画論」を開いては、はじめて美術評論というジャンルの文章に子供ごころに畏敬(いけい)の念をもって接した記憶は、いまも鮮烈に残っている。
その後に読んだハーバード・リードの「芸術の意味」とともに忘れられない美術書だが、深層心理により影響を与えたのは、「風景画論」のほうだったといまにして気づく。もっと昔に翻訳されていた本だとばかり思っていたが、今回の文庫版で、出版されて間もない時期に元本を手にしたことが確認されたのは、意外な驚きだった。
「事実は、愛を通じて芸術になる。愛は事実を統一し、現実をより高い境域へとこれを高める。風景画の場合、一切を抱擁する愛を表すものは光である。すべてを浸すこうした光の感覚が、まず彩飾写本画家の流派から芽生え・・」
ダ・ヴィンチ、フランドル、オランダ絵画、プッサン、クロード・ロラン、ターナー、印象派、セザンヌ・・どの章もいまも傾聴に値するが、とりわけ心惹かれるのは、先のような書き出しではじまる中世と風景のヴィジョンのはじまりについて記された章だったりする。
「空と海」藤原書店/200ページ/2200円+税
「風景画論」ちくま学芸文庫 筑摩書房/384ページ/1400円+税
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