「フェルメールの受胎告知」
シリ・ハストヴェット(著)、野中邦子(訳)
白水社
人はなぜ〈矩形(くけい)の謎〉に惹かれるのか?
まず本書を紹介するについて、はじめに抵抗を感じることがあると言わねばならない。翻訳のタイトルとそれに合わせたフェルメールの「真珠の首飾りをもつ女」の表紙。・・・原題は、“Mysteries
of the Rectangle”(「矩形の謎」)。矩形=キャンバスや紙の四角ーに描かれた絵のナゾというしゃれたタイトルなのだが、ジョルジョーネやシャルダン、ゴヤ、モランディなど8人ほどの画家の絵をめぐるエッセイを集めたこの本のなかで、フェルメールの先の作品に関する部分はそのなかの1章に過ぎないし、ほかより格別すぐれているわけでもない。それがこんなに偏向した装いになってしまうのは、フェルメール人気とダ・ヴィンチの「受胎告知図」の日本公開にあやかろうとする出版社のマーケッテイング(版元は、映画『真珠の首飾りの少女』の原作やフェルメールの伝記『デルフトの眺望』と同じ)のためであることは明らかだとしても、絵画への深い愛と独自の関わりをもって一冊の本を書いた著者のために、このことははっきり言っておいたほうがいい。また読者に対しては、いまやインフレ気味の「フェルメールもの」の一冊とおもって手にするのは誤解であるとー。
著者が学生のころにスライドで見て他の絵とはちがう特別な感情を抱いたジョルジョーネの「嵐」という一枚の絵。ヴェネチアのアカデミア美術館で後に本物の絵に接したとき、すっかり記憶のなかに覚えていると思っていた絵のイメージから男の姿が抜け落ちていたことに気づいた著者は、その〈記憶喪失〉の体験をはじめて書いた長編小説(“The
Blindfold ”ー『目かくし』1992)の重要なエピソードにした。
こうした〈記憶喪失〉が、本物の作品を眼にする機会に多くつきまとうのは誰しも覚えがある経験だろう。むしろそうした錯覚が、一枚の絵をゆたかな意識と世界との関係のあらわれにする。ジョルジョーネの「嵐」(1504ごろ)は、「関連する寓意がすぐに思い浮かばないという点で、(それが描かれた)この時代にしては稀有な作品」であり、その曖昧さによる困惑は、この絵をめぐってたくさんの解釈を生みだしてきた。
「この影のような女性の存在(最初に描かれて未完のまま塗り込められた)が語るのは、ジョルジョーネが途中で気を変えたということだけである。完成した作品を見るとき、人はこれを画家が意図した形であることを認めなければいけない」。
赤外線撮影に基づいたケネス・クラークなど美術史の大家が築いた通説が、ばっさり斬られていくのは痛快である。
「キャンバスと向かいあうとき、人はつねにかつて画家が立っていた場所に立つ。もはやそこに画家はいないが、その隠れた肉体、影のような存在が、あらゆるキャンバスの裏にある」。
私がアカデミア美術館で、著者と同じようにその小ささに驚きながら、ふつうの小部屋のような展示室のさりげなさに馴じみつつ、いちばん時間をかけて見た絵は、やはり「嵐」だった(この作品の解題については、サルヴァドーレ・セッテス『絵画の発明』晶文社に詳しい)。
この本にでてくる画家のなかで、著者がもっとも熱く語るのは、2章にわたって記されているゴヤ、版画連作「ロス・カプリチョス」や「戦争の惨禍」、ナポレオンの侵攻に抵抗し虐殺されるマドリード市民を描いた「5月3日」、そして通称「黒い絵」を描いた晩年のゴヤである。奔放な情熱と計略によって宮廷画家に登りつめたゴヤが、病にたおれ聴覚をなくした後に自分のために描くようになった作品の数々。風刺画の伝統をもとにしながら、妄想と現実の世界への鋭い写実をない混ぜにした「ロス・カプリチョス」は、いまだ描かれたことのない境界を踏みこえたヴィジョンとその空間の歪みに見る者を戦慄させる。
著者は、ゴヤの「5月3日」と同時代にフランス革命で殉死した革命家を描いたダヴィットの「マラーの死」(1783)を比較し、またキリストの磔刑図をはじめ多く描かれた同じモチーフの絵のなかで、いかにゴヤのそれが卓越した絵画であるかを語る。「この作品のスタイルは、わざと美しさを否定している。虐殺を美しく表現することなどできないと言っているのだ。そんな拒否こそ、ゴヤがあらゆる先人たちと異なる点である。・・彼は伝統に縛られない作品、ひとがもう一度見直さずにはいられないようなものを作り出すために、最小限のルールだけを捨てたのだ」。
クリステヴァの「恐怖の権力」(本サイトBOOKのバックナンバー『斬首の光景』参照のこと)も引用されているが、著者のパトスは、ついにはプラド美術館の同作の群衆の影のなかに、ゴヤらしき男の姿を目撃するにいたる・・。このとき著者は自分の錯覚をおそれて、カフェで待っていた夫と娘と友人を証人に召喚したというが、その夫が作家ポール・オースターというのは、主人公が失踪したりその目撃談をプロットにした作品で知られるオースターの小説(『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)を思わせるようでおかしい。
著者は、アメリカの小説家、詩人。本書の前にニューヨークをさすらう女性の日々を描いた長編「目かくし」(白水社)が翻訳されている。聞き慣れない名前の響きは、ノルウェー系アメリカ人という。
本書には、ほかにモランディも登場するが、これは先の2人の画家にくらべると期待はずれ。それよりも旧交があった抽象表現主義の画家ジョーン・ミッチェル(1926-92、シカゴに生まれフランスに在住した)やフォト・ペインティングの巨匠ゲルハルト・リヒター(著者の故郷ニューヨークでの9.11から間もなく、MOMAで見たドイツ人テロリストたちの顔写真による絵画シリーズなど)といった現代美術家について、いわゆる美術評論以外のテキストが読むことができるのも魅力である。
白水社/四六判 上製 224頁(+カラー口絵4頁)/2940円 (本体2800円) |