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本<鷹見明彦>


「イスタンブール−思い出とこの町」
オルハン・パムク(著)、和久井映子(訳)
藤原書店

画家を夢見る少年がいた街

 イスタンブール、エキゾチックな空想をかきたてる都市の名前。旧コンスタンチノープル、東ローマ、ビザンチン帝国、そしてオスマン・トルコの帝都。アジアとヨーロッパ、西欧と東洋の架け橋となってきたボスフォラス海峡の歴史の都。ブルーモスクや東西文化の精華の宝物を蒐(あつ)めたスルタンの王宮の街・・。現在は、経済成長とともにEU加盟を果たし、イスタンブール・ビエンナーレも、すでに10回あまり開催されている。
 
 1952年にその街で生まれて、その街に住みつづけて、オスマン・トルコの王宮に生きた盲目の細密画絵師たちの物語(『わたしの名は紅(あか)』1998、本サイトBOOKのバックナンバーに紹介あり)やイスラム過激派に対するクーデター事件を描いた小説(『雪』2002)を書いて、2006年ノーベル文学賞を受賞した著者による〈わが街イスタンブール〉と少年期のメモワールである。

 作家と街といえば、ボードレールやプルーストのパリ、カフカのプラハ、ジョイスのダブリン、ドストエフスキーのサンクト・ペテルブルク、永井荷風の東京(江戸)など多くの名作とその背景が思い浮かぶ。パムクの文学へのノーベル賞委員会の讃辞にもそうした表現があったようだが、この回顧録で興味深いのは、作家が22歳ぐらいまでは画家を志望する青年であったことだろう。だとすれば、前記のリストはユトリロのパリ、ホッパーのニューヨーク、ムンクのオスロ、松本俊介の東京・・という風に改められるのかも知れない。

 「15歳のときから、とりつかれたかのようにイスタンブールの風景を描き始めた。・・町の絵は2種類描いた。ひとつは、海峡の風景で、海と町が互いに入り組んだ、町のシルエットが後方にある絵。これらの絵は、たいていこの200年間に町に来た西洋の旅行者が「魅惑的」と感じたイスタンブールの風景から思いついたものだった。・・これらの絵を描くとき、誰か西洋の画家を真似る必要はなく、思ったように振る舞っていたが、多くの細かいところでは彼らから習ったことを使っていた。ボスフォラス海峡の波をデュフィのように子どもっぽくやったり、雲をマチスのように描いたり・・わたしがしていたことは、フランスで始まった印象派などを真似て、その4、50年後にイスタンブールのすべての美しい姿を描いたトルコの印象派の人たちと、特に違わなかった」
 やがてそうした「色彩豊かで、陽気で、心配のない絵」にもの足りなさを感じた少年は、「人気のない裏通りや、忘れられた広場や、舗石でおおわれた坂道とか、出窓のある木造の家など」」を描きはじめた。「時には画用紙に白黒で、時にはボール紙やキャンバスに白が多くわずかに彩色を入れた油彩で、描いたこれらの絵の背景には、2つの別な霊感の源があった。新聞の歴史コーナーや雑誌に多く載っていた白黒の裏通りの絵に影響されて、静かな、憂愁に沈む町外れの貧しい一画の詩が非常に好きだった。・・複製画とメロドラマ風の伝記によって知ったユトリロのような絵が描きたいと思って、周囲にモスクや尖塔があまり見えないことから、・・地区と・・の裏通りの風景を選ぶのだった」

 少年はカメラを持って街を歩きまわり、絵が描きたくなると撮影した白黒写真をもとにして、そこに写ったイスタンブールの街並みにパリの建物に見られるような窓の鎧戸を描き加えるのだった。
 そこには、オリエンタリズムやカルチャラル・スタディーズが対象とするところの近代化と異文化接種のプロセスがよく表れている。

 パムクは、イスタンブールのイメージを作った先行者たちとして、ネルヴァル(『東方紀行』)やゴーチェ、マーク・トウェンまでの文学者とともに、18世紀末から19世紀にかけてコンスタンチノープルに滞在したドイツの画家、アントワーヌ・メリングが遺した精緻な銅版画をあげている。
 「失われた世界の光景を眺めるときにボスフォラス海峡とイスタンブールの美しさを心安らかに眺められるように、建築上の細部への鋭い注意深さと遠近法を巧みに扱うことによって、メリングは頭の求めるとおりの迫真味を与えてくれる。スルタンのハーレムの内部を見せる絵ですら、建築の断面図のようで、ゴシックの遠近法の可能性を追求し、そして後宮の女たちをハーレムに対する西洋の性的空想からはきわめて遠い厳粛さと優美さで描いているので、イスタンブールの人間が見ても、その力強い迫真性と真摯さに納得させられる。これらの絵の学術的な真面目な雰囲気に対して、メリングは人間的な細部(後宮の女性同士が抱き合って接吻しているような)を端や隅に置くことでバランスをとる」

 「メリングの描くイスタンブールの光景には、あたかもひとつの中心はないかのようである。もしかしたらそれが彼のイスタンブールにこれほどわたしが惹(ひ)かれ理由なのかもしれない・・」

 メリングの「イスタンブール及びボスフォラス海峡沿いの絵の旅」(1819)からの銅版画、ル・コルビジュエのスケッチ、トルコを代表する写真家アラ・ギュレルが撮影した写真や古いイスタンブールの写真、著者自身のアルバムから選ばれた写真などモザイクにようにはめ込まれたたくさんの図版と文章によって誘われる旅は、大学の建築科をやめて画家になろうと思った著者が、自分の絵のモデルになってくれた恋人に失恋して、あらためて文学者となる決意をするところで終わっている。

藤原書店/490頁/3,780円(税込)(本体3,600円)

   
(2007/8/31 update)
     
   
         
 
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