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本<鷹見明彦>


「ムンク伝」
スー・プリドー(著)、木下哲夫(訳)
みすず書房

北国の天才と狂気の幕間

 ムンク(1863ー1944)がどの世代に属する画家かといえば、同世代にはスーラ、ロートレック、ボナール、ノルデ、クリンガー、アンソール、クノップフ、セガンティーニ、クリムト、ミュシャ、カンディンスキーなどがいる。ゴッホはちょうど10才年長、ピカソやミロは20才も年下である。

 印象派/後期印象派のあとのアール・ヌーボー、象徴主義そして表現主義へとつながっていく時代精神の申し子たち・・・。このリストの顔ぶれと国籍(ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、東欧、ロシア)からもわかるように、この世紀末の時期には、フランス(パリ)中心の文化が、その光を伝導しながら各地に印象派のモダニズムとは別な、むしろ光の啓蒙とは相対立する潮流を形成した。その流れが、花の都パリと辺境との距離と往還によってつくられたものであるのは、前の世代もそれから100年近く後までも続いた歴史を通じて変わりがない。ムンクが黒田清輝や藤島武二と同世代であり、ほぼ近い時期にパリに学んだといえば、ノルウェーという北の僻地(へきち)と極東の離れ島の近代化という時代の姿がよりはっきりとイメージできるだろう。

 ノルウェー語で「ムンク」は、僧侶を意味する。代々高位の聖職者や官僚、軍人、芸術家を輩出した名門の一族で、国立美術館の設立に寄与した画家でもあった曽祖父は司祭、叔父は「ノルウェー民衆史」を書いた偉大な歴史学者であり、ムンクの父も町医者だった。船乗りと商人の娘だった母は、ムンクが5才のときに結核で死亡、母の死後、気難しい父は信仰にすがって子供たちをきびしく折檻した。母の死そして同じ結核による姉の死、そして父との関係が病弱な少年のこころに深い影を落とした。キリスト教の心霊主義と死が身近にあった少年期とその環境から、後年の「病める娘」をはじめとする病と死のヴィジョンは生まれた。
 絵画への目覚めには、画家だった叔父を通じて触れたフリードリヒに影響された風景画派の感化があった。いったんは工業学校に進んだムンクは、数学と物理が得意で、その関心は変わらずに後に相対性理論が出たときには熱心に学習したほどだ。病気で休学後、父の反対を押し切ってクリスティアニア(オスロ)の美術工芸学校に入り直した。この時期のノルウェー絵画は、ドイツ経由の自然主義リアリズムが主流だったが、個人主義とアナーキズムを信奉する急進的なボヘミアン運動の影響を受ける。パリの印象派やベルリンのマックス・クリンガーなどと交流のあった画家集団やボヘミアン主義の評論家からは、パリで見聞したことよりも根本的な方向性を得たと、ムンクはのちに語っている。また愛読したドストエフスキー、イプセンやストリンドベリの戯曲は、終生画家に決定的な教示を与えた。とくに前者とのちに肖像を描くニーチェの著作は、座右の書となって、ドストエフスキーには死の間際にも読むほど傾倒した。父と息子の葛藤(かっとう)のドラマに神の救済を見出すその文学に、自分の親子関係を重ねていたのは疑いない。すでに出発のこの時期に、「病める子」「思春期」といった個性を決定づける作品の原作が描かれているのは、画家の天才の証しである。

 1889年国費留学生として万博が開かれエッフェル塔が建ったパリへ。4年間の滞在中には印象派と出会い、ゴーギャン、ロートレックの作品に強く共感した。ゴッホのピストル自殺の報に受けた衝撃は大きかった。マラルメのサロンでは、ルソー、ラヴェル、グリーグ、ワイルド、ボナール、テオ・ゴッホなどと知り合った。この時代のパリでは、ストリンドベリを筆頭にスカンジナビアの芸術は人気があった。版画が盛んなパリで画家はアトリエを版画工房のそばに借りて、直接、職人から習って身につけた。この時からムンクのイメージは、生涯たくさんの版画に刷られ知られるようになっていく・・・

 決定版といえる浩瀚(こうかん)な伝記のはじまりの部分だが、子どものころから日記を付ける習慣を持ち続けた本人の手記も多く交えながら、美術の潮流はもちろん、一流の教養人としてふたつの世紀を生きた画家がその表現の糧にした思想、哲学、文学、医学や風俗流行との影響関係も詳細に跡づけられている。強烈なヴィジョンの作品からゴッホとも相通じる〈狂気の画家〉のイメージを抱きやすいが、ムンクの人となりとその背景は複雑である。

 「幕間。演奏が終わる。すこし寂しくなった。何度も似たようなことを考えたこと、そして絵を描き終えると、みなは首を横に振り、微笑むばかりだったことを思い出した。気がつくと、ぼくはふたたび大通りに立っていた」。

 本書が英語によるはじめての伝記(原書、2005年刊)というのも意外な気はする。ムンクの場合は、もともとドイツ圏での評価が圧倒的に高く、後半生の名声に伴ったアルコール中毒の狂気、そしてナチスドイツによる「頽廃芸術」の烙印(らくいん)という反転をもって終戦を前にこの世を去ったその波乱の時代の生涯が、同時代にフランスで活躍した美術家とは異なる評価の複雑さを生んできた。近年の作品の高騰と人気の高まりにも明らかなように、その真価は世紀をこえて問われていく可能性を多くはらんでいる。美術史家と同時に小説家でもある著者によるこの伝記は、両者のバランスが相乗して、年代ごとに記された綿密な研究でありながら読み物としてもおもしろく読める。著者の国籍はイギリスだが、その家系は晩年のムンクの後援者につながるという。
 いつも飛び抜けて高価なわりには図版が少ないのが難点といえる、みすず書房の翻訳書としては、カラー図版や資料写真もめずらしく多く収録されている。ムンクの作品の題名はほとんどが本人が付けたものではないので、名称にばらつきがあり、またノルウェー語の固有名詞は発音が微妙なためにこれまで統一がなかったが、今回の回顧展を機に統一作業が行われた。本書にもその成果が反映されている。

 2004年に起こったオスロ美術館の「叫び」の盗難事件の後、北国が生んだ孤高の巨匠への関心を一層高めたMOMAの「ムンク展」(2006)につづいて、26年ぶりの日本での大回顧展が巡回する。
「ムンク展」(2007年10月6日ー2008年1月6日 国立西洋美術館、1月19日ー3月30日 兵庫県立美術館へ巡回)

みすず書房/456頁/8,400円(本体8,000円)

   
(2007/9/28 update)
     
   
         
 
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