「南海漂蕩」
岡谷公二(著)
冨山房インターナショナル
南方憧憬ー戦争前、南の島へ行った美術家たちの物語
歴史や政治について、南北問題あるいは南北格差といったことばをきくことがある。東洋と西洋をさす東西文化とは、またちがったニュアンスがその響きにはあるが、簡単に言えば、近代以降の歴史では、北に位置する国々がその国力と植民地化によって、南の諸地域を支配したり搾取する傾向が強かった。欧米や日本など、北の国家は、近代化の過程を南の植民地支配や資源によって成し遂げた。文化史的にそれはエキゾチズム(異国趣味)をもたらしたが、近代化の進行は、より積極的に南の文化の価値を発見しようとする芸術家たちの関心を生みだした。
「ゴーギャンが一生の大半を暮らしたパリを基準とするなら、その緯度はほぼサハリン(オホーツク海の樺太(カラフト)島)に相当する。それは、あきらかに北であり、西欧文明は北の文明である。その西欧に、産業革命を経て、キリスト教の神に変わり金銭を神とするブルジョア社会が誕生したとき、そうした社会を嫌悪し、拒否する人々の瞼裏に、南が次第に姿をあらわしはじめる。南は北の対蹠地であり、それゆえそこには、北にはないすべてのもの(輝く太陽、夢と神秘、素朴な生活など)がある、と彼らは考えたからである」
「ゴーギャンは、この南の思想を生きた。彼をタヒチに赴(おもむ)かせたものは、新しいモティーフを求めたいという欲求よりも、考え方であったことに留意したい。彼は当初、タヒチに楽園を求めたのはたしかである」
ゴーギャンに代表される「反西欧」の南方行は、ドラクロアの時代からあったが、19世紀以降は数を増して、印象派の画家たちやノルデ、クレー、ワルター・シュピース、シュルレアリストたちへとつづく。文学者も、ピエール・ロティ、スティヴンソン、メルヴィル、モーム、ランボー、アルトー、人類学者のマルセル・グリオールなどの作品が多大な影響をもたらした。(本サイトBOOKバックナンバー、岡谷公二『絵画のなかの熱帯』を参照のこと)。
では、日本の近代化はどのような南方行をもたらしたのか、というのが本書のテーマである。日本も富国強兵にともなって南方に進出し、日清戦争では台湾を領有、その後にはフィリピンからニューギニアの間に散らばるサイパン、グァム、パラオ、トラックなどの南洋諸島を委任統治下においた。その海域が太平洋戦争の激戦地になったことは戦史に詳しいが、西欧の場合に較べると、芸術家の南方行や移住は、戦時中の従軍画家の場合をのぞけば多いとはいえない。本書にあげられた初期の例は、上野山清貢、武田範芳、丸木俊、藤本東一良といった明治生まれの洋画家たちで、いずれもゴーギャンに影響されて、戦前にサイパン、ヤップなどの南洋諸島に滞在している。
ゴーギャンの影響というのは、明治末から大正初年に文学誌「白樺」に翻訳連載されたそのタヒチ紀行の手記「ノア・ノア」によるものだった。これらの画家たちは、のちに南洋美術家協会を結成して、戦局が変化していく本土で定期的に展覧会を開催した。
西欧アカデミズムの輸入によった日本の近代美術は、その後、印象派や象徴主義などたえず西欧の影響に左右された歴史を持っている。南方行きも、これほどゴーギャンに影響されていたのには、その近代化の構造が透けて見えるようだ。それと南方に行った画家たちは北海道の出身者が多く、また文学者たちも含めて、彼らに近代文明の否定はなく、のどかな原郷回帰への憧れがその動機であり、それがゴーギャンやランボーら西欧人とは決定的にちがっているという指摘は、興味深い。柳田国男などによる民俗学や人類学、言語学が明かした日本社会や文化、言語の底流にある南方的な要素、遺伝子の共通などがそこには影響しているのだろう。
本書の主役は、彫刻家の土方久功(ひじかた・ひさかつ)と杉浦佐助、そして小説家の中島敦である。2人の彫刻家は、日本近代の芸術家たちの南方行にあって、例外的に長期間現地に住み着いて制作を続けた。華族の家に生まれた土方は、東京美術学校彫刻科を出て、ゴーギャンに魅せられて昭和4年の渡航から南洋ミクロネシアのパラオ諸島で13年間暮らし、終戦前に帰国、戦後は静かに晩年を過ごした。死後には美術館で回顧展(世田谷美術館
1991)も開かれ、「日本のゴーギャン」とも呼ばれる。南島民俗の調査に打ち込み、ボルネオ博物館館長などを勤めた。美術家として以上にその民俗学的な資料が再評価されて、日記やフィールド・ノートをまとめた著作集と伝記(岡谷公二『南海漂泊ー土方久功伝』)も刊行されている。
杉浦佐助は、三河(愛知県)の宮大工だったが、大正6年に南洋に渡り、現地で邦人関係の建築を手がけるうちに土方の弟子となって彫刻を学び、一時的な帰国を除いてそのまま終戦直前にテニアン島で死んだ。昭和14年、東京で開かれた個展は、エキゾチックな精霊のような丸彫りやレリーフ、仮面などの木彫が、「原始人の審美と幻想に満ちた、恐るべき芸術的な巨弾」(高村光太郎)などと激賞されたが、残った作品は10点たらずで忘れ去られた。土方と佐助の関係は親密で、2人はゴーギャンがタヒチから俗化をきらってさらにマルキーズ群島へ移ったのに倣(なら)って、パラオの北東にあるサタワル島という絶海の孤島で8年間を共に過ごした。佐助の消息は、不明な点が多いが、著者は沖縄出身の版画家・儀間比呂志(ぎま・ひろし)が終戦前に現地で佐助に出会い、内弟子となっていたことを知って、儀間から当時の様子を聞いている。儀間が語る洞窟に住む師とのインディ・ジョーンズのような話は、本書の白眉となっている。
中島敦は、「山月記」など漢文の素養を近代文学に昇華した短編が現在も評価の高い作家だが、「宝島」の作者スティヴンソンの南洋文学に影響されて小笠原をを旅し、スティヴンソンの伝記をもとに「光と風と夢」を書いた。昭和16年にパラオの南洋庁に配属されて、南島を題材とした作品を多く残した。土方は中島より8歳年長だったが、南の島で出会った2人(土方も南洋庁の嘱託になっていた)は、芸術家としてうち解けあった。翌17年に同じ船で帰国するまで、戦雲近づくなかでのよき親交の時間が、それぞれの小説や手記によってたどられる。中島は帰国後間もなく、その才能を惜しまれながら33歳で他界するが、現在出ている中島敦全集(ちくま文庫)の表紙は、土方久功の絵で飾られている。
「パラオーふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」展(2007年11月17日〜2008年1月27日 東京・世田谷美術館)、土方久功・杉浦佐助・儀間比呂志の3人展は、2008年4月から町田市立国際版画美術館から沖縄県立博物館・美術館などへ巡回予定。
富山房インターナショナル /B6判/205頁/2,520円(税込)(本体2,400円)
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