「美の猟犬 安宅コレクション余聞」
伊藤郁太郎(著)
日本経済新聞出版社
美という魔物の正体にふれる
あの冬からすでに十数年が経つが、阪神淡路大震災のときに現地にはいったのは被災から2週間後のことだった。「美術手帖」(1995年5月号)の特別記事で、阪神間のおもな美術館や建築、パブリック・アートなどを巡って被害状況をレポートする取材だった。まだライフラインも復旧せずに、鉄道も西宮と神戸の間は分断されていた。大阪から輸送船に成り変わった観光船に乗船すると、デッキは、リュックを背負って生活物資を運ぶ人々で一杯で、それはまるで映画で観た戦時の移民船のシーンのようだった。
兵庫県立美術館、芦屋市立美術博物館、西宮市大谷記念美術館、神戸市立小磯良平記念美術館、そしてフランク・R・ライトや安藤忠雄の建築・・・。瓦礫(がれき)に変わった市街をヒッチハイクして、避難所になった美術館で防災服姿の学芸員から被害状況を聞き取り、名建築の安否を確かめる旅をつづけて5日あまり、取材を終えて大阪に戻ったその足で、中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館を訪れた。自然光を展示ケース内に採光した展示室で、陶器の名品が観られるこの美術館は、大阪へ行くごとに足をむける場所だった。青磁や白磁の陶器を観るのは、秋の日の午前の自然光がいいという。展示品の質の高さはもちろんだが、自然光にこだわる照明にコレクションへのひとかたならぬ思い入れが感じられる。
連日、壊れた物ばかりを見つづけたこのときほど、引き寄せられるようにして砂漠で泉を求めるように、そこへ行きたいという強い促(うなが)しを感じたことはなかった。
取材した複数の学芸員から、震災当日の早朝に食器棚が倒れて食器がくだけ散った話を聞いたが、重い石彫や木の彫刻が倒れたり動いた様子を目の当たりにするまでもなく、絵画や彫刻よりも陶磁器類の被害が大きいことは間違いなかった。たしか震源から遠い大阪でさえ、開催中だった展覧会で陶器が破損する被害があったと記憶する。骨董類のコレクションや博物館は、取材の対象外だったので被害の実態はわからなかったが、とりわけその分野のコレクションや美術館も多くある阪神間では、ダメージは想像を越えた規模であったはずだ。完全に倒壊していた有名な酒造元の美術館の前を通り過ぎたときなど、廃墟の暗がりに散った陶片が眼に浮かんだ。
考えてみれば、とりわけ脆(もろ)い物質である陶器を珍重してきた人間のこころは、何百年にもわたって多くの災害や戦乱をこえて、その美を伝えてきた。こうした人間のドラマと天命にかなって存在しつづけた物だけが、名品として残されている。地震でなくても、落とせば砕けてしまう儚(はかな)いものが、ときに人を虜にして、そうした個々の人生をこえて、物だけが生き長らえていく・・・。名品の来歴には、美の秘密とそれが人間にとって何ものなのかという問いのエッセンスが隠されているようだ。震災の冬に立ち寄って観た陶磁美術館の自然光に照らされた白磁の壷や青磁の瓶の姿は、その一事を深く心底に映した。
大阪市立東洋陶磁美術館のコレクションは、その大半が、ひとりの大コレクターの所蔵品に基づいている。本書の主人公である安宅(あたか)英一(1900-1994)。旧安宅産業のオーナーだった人物といっても、今日その企業の名前を知る人も少なくなったが、戦前から新進音楽家育成の奨学制度である安宅賞(現在は、東京芸術大学の音楽、美術学部の学生対象の賞として存続)を創設するなど、芸術のパトロンとしても知られた。安宅産業は1977年にオイル・ショックの影響を受けて経営破綻するまで、戦前戦後を通じて日本を代表する商社のひとつだった。審美眼と財力に恵まれたそのオーナーが生涯を賭けて蒐めた安宅コレクションとよばれる東洋陶磁器を中心とする約1千点は、とくに高麗(こうらい)・朝鮮の陶器で、世界屈指のコレクションとして名高い。個人コレクションは、コレクターが亡くなって相続が発生したり、オーナー企業であれば会社が傾いたりすると、散逸する場合も多いが、安宅コレクションの場合は、幸いにもまとまって公共財になって、美術館のコレクションとして一般に公開されるという運命をたどった。
著者は、オーナー直属の部下として、長年コレクションの形成にたずさわり、安宅産業の整理後には、コレクションを管理した住友グループによる大阪市立東洋陶磁美術館への寄贈を進めて、現在は同館の館長を勤めている。戦後日本の経済成長とともに拡充されたコレクションだけに、最初からその仕事のために採用されて、個性的なオーナーの手となり足となってコレクション作りに奔走した著者の証言は、その場にいなければ知り得ないエピソードの数々に満ちている。それがとりわけ、ひとすじ縄ではいかない人間模様が色濃く渦を巻く骨董、古美術の世界、それも屈指の名品に関する話だけに奧が深く、スケールも大きい。後には国宝や重要文化財に指定されたようなコレクション1点1点の来歴や獲得までのいきさつに触れた作品図版の解説にも、そうした形跡があらわている。
名だたる日本の骨董商や海外の美術商、コレクター間の駆け引きや人間ドラマは、いちばんの読みどころだが、ただしそれが小説になるような生ぐさい話の面白さではないところに、ひとりのコレクターの人格がはっきりと出ている。
「大コレクターで、安宅さんほど、古美術商に対して辞を低くした人はいないように思われる。(中略)『こちらは買い手でしょう?どうしてあんなに丁寧にお辞儀をされるのですか?』。その答えは、『別に人に向かってお辞儀しているのではないのです。後に、ものが見えるのですよ。ものに向かっては、いくらお辞儀をしても、し過ぎることはないでしょう』というものであった」。
「『ものをして語らしむ』。これがやきものに対する安宅氏の態度であり、理解であり、敬意であった。自らは、ものについて、決して多くを語ろうとしなかった安宅氏は、やきものの前では言葉を失ってしまうことを知っていたのであろう。そして、言葉を失わせるほどのやきものに出会うことを、瞬時の暇もなく渇望し、冀求(ききゅう)したのである」。
「もう一つ不思議なのは、生活空間に美術品を置かなかったことです。(中略)生活を飾ると、それで目線が低くなっていって、民芸につながる。青山二郎だとか白州正子さん的なああいう世界に繋(つな)がって行くわけです。それは、目を下に向ける俯角視線。安宅さんはほとんど仰角なんです。だから、日常世界なんて全く関係ない」。
「美の求道者・安宅英一の眼」展は、大阪市立東洋陶磁美術館、三井記念美術館(東京)で開催後、福岡市美術館(2008年1月5日〜2月17日)、金沢21世紀美術館(2月29日〜3月20日)に巡回。
日本経済新聞出版社/A5判/295頁/2,940円(税込)
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