「愛しのグレンダ」
フリオ・コルタサル(著)、野谷文昭(訳)
岩波書店
意識のかきねをすり抜ける感染力
美術や音楽をモチーフに生かした文学/小説の傑作は?と訊かれたら、どんな本の名前があがるだろうか?それはもちろん実在の画家や作曲家の伝記ではなく、あくまでもフィクションの素材や扱いにおいてー。
大きなところでは、プルースト。近年ブームのフェルメールも、ある時期までは、むしろその「失われた時を求めて」に記されたことでより一般に知られていた。(架空の)画家を主人公にした小説といえば、バルザックの「知られざる傑作」やヘッセの「湖畔のアトリエ」などもある。
フリオ・コルタサル(1914ー1984)は、ボルヘスやガルシア=マルケスなどを筆頭とするラテン・アメリカの現代文学(ただしコルタサルは、アルゼンチンで育ったが長年パリに住んだ)のなかで、短編の名手として知られている。あとの2人にくらべれば、知名度は劣るが、エドガー・アラン・ポーの衣鉢(いはつ)を継ぐその世界は、小説好き、幻想文学ファンあたりにはたまらない魅力を持った作家だ。ノーベル賞作家でメキシコを代表する詩人オクタビオ・パスは、若いころからパリで親交のあった友人のコルタサルを評して、重いスペイン語に空気を吹き込んだと言っている。これまでに代表作の長編「石蹴り遊び」をはじめ、岩波文庫にはいった短編アンソロジー「悪魔の涎(よだれ)・追い求める男」など、短編集も6冊ほど翻訳されている。(ミケランジェロ・アントニオー二の映画「欲望(Blow
up)」1966は、コルタサル「悪魔の涎」を読んで製作された)。
ジャズ・マニアとしても有名で、作家が亡くなった際に処分されたそのジャズ・レコードのコレクションを惜しむ文章を読んだ覚えがある。チャーリー・パーカーやサッチモことルイ・アームストロングなどを論じたエッセイも多く、チャーリー・パーカーをモデルにした「追い求める男」という小説は、ジャズを題材にした小説としては屈指の名作。麻薬に蝕(むしば)まれつつ神懸(が)かりな演奏をするサックス奏者の晩年の姿を、その伝記を書く批評家の眼を通して書いた中編小説は、まるで「バード」、すなわちチャリー・パーカーが生きていた日々にはいり込んだような錯覚を与える。ジャズを書いた小説といえば、ナット・ヘントフの「ジャズ・カントリー」などがあるが、コルタサルのその作品は、まさにパーカーのアドリブが唯一無比であるような傑作だ。
コルタサルの小説では、読みはじめた本の世界がエッシャーの作品やメビウスの輪のように現実の世界に続いたり、水族館の水槽でサンショウウオを見ていた男の意識がサンショウウオに移ってしまう。高速道路の渋滞がいつか多くの季節を過ごす共同体に変わっていく・・・。コルタサルの幻想には、時空の歪みや存在のすり替わりを描いて、読者を人間の意識の内側に隠された世界に連れていく感染力がある。
今回訳された短編集「愛(いと)しのグレンダ」(原書1980刊)を読んでみると、女優グレンダ・ガーソンと映画ファンを描いた表題作やルネサンス期の天才作曲家ジェズアルド(妻を殺害したことでも知られる)の曲を歌う音楽家たちが出てくる作品は、いかにもこの作家ならではの切り口だったが、それとともに、絵画や美術をコルタサルならではの語り口で扱った短編も多く収められているのがわかった。
「音楽こそがぼくを本当にアラーナにたどり着かせてくれる道だと感じられた時期があった。彼女がぼくたちのレコード、バルトークやデューク・エリントやガル・コスタ(ブラジルの歌手)を聞いているのを眺めていると、ゆったりとした透明な何かが、ぼくを彼女のなかに沈めていった。・・・そしてはじめに別のアラーナたちを垣間見させてくれた音楽にかわって、ある日ぼくは、レンブラントの版画の前に立った彼女が、ちょうど空に浮かんだ一群の雲によって風景の光と影がいきなり変わってしまうように、さらに変化するのを目の当たりにした」。
「それまではキース・ジャレットやべートーベン、アニバル・トロイロ(タンゴの巨匠)といった無意識の仲介者たちの手を借りて、ぼくは彼女に接近していた。けれども一幅の絵、また版画の前でアラーナは、ぼくがアラーナだと信じていたものをさらにかなぐり捨てた。一幅の絵から別の絵へと移動し、その絵について論じてみたり黙ったりしながら瞬間的に想像の世界に入り込むとき、彼女は自分でも気づかぬまま彼女自身から抜け出してしまう」。(「猫の視線」)
それから「ぼく」は、ギャラリーで飼い猫とそっくりの猫を描いた絵を見るアラーナを見るうちに、自分と恋人と猫がそれまで作ってきた関係の三角形が壊れるのを感じる。その時すでに彼女は絵のなかの世界へ行ってしまっていた・・・。
深夜のパリでアルゼンチン人の美術評論家が同胞の彫刻家の作品集にのせる文章を書くためにアトリエを訪ねて、軍事政権の時代に母国で行われた虐殺に関する記事の切り抜きを読んだ帰り道、現実とも幻覚ともつかない暴力の現場に遭遇する(「ふたつの切り抜き」)。夜間外出禁止令が出ている街で、夜に反体制派が描く落書きに画家は魅せられて共作をはじめる(「グラフティ」、この短編には、スペインのアンフォルメル画家、アントニオ・タピエスへの献辞がある)。
こうした作品には、テロが日常化した時代を先取りしたリアリティがある。
本書の表紙絵には、メキシコに渡って活躍したスペイン人のシュルレアリスム画家、レメディオス・バロの作品が使われている。
岩波書店/四六判/220頁/2,730円(税込)
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