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映画<鷹見明彦>

エルミタージュ幻想

ひと息のうちに観る美と歴史の〈幻影〉

 エルミタージュ美術館として知られるロシア屈指の美術館は、その規模と歴史、コレクションの質において、ルーヴルや大英博物館に比肩する世界の大美術館のひとつである。
 その歴史は、18世紀のはじめにピョートル大帝が、ロシアの後進性を改革しようとロマノフ朝の帝都をモスクワからペテルブルクに移したことにはじまる。その後、ヨーロッパからやってきて帝位についた女王エカテリーナ2世が蒐(あつ)めたコレクションの展示場所に、1764年に建てた美術館がエルミタージュの礎になった。

 「Russian Ark(ロシアの方舟)」とタイトルされたこの映画は、サンクト・ペテルブルク建都300周年を記念するフィルムとして、ロマノフ朝から現代にわたるこのロシアの文化の殿堂をめぐる歴史を映そうと製作された。
 そう言うと、ルーヴルをはじめエルミタージュ編もすでにある「世界の美術館」のドキュメンタリー・シリーズなどが思い浮かぶが、タルコフスキー以後のロシア映画の鬼才として日本にも信奉者を持つアレクサンドル・ソクーロフ監督であれば、ただのドキュメンタリーにはおさまらない。

 ソクーロフは、直接エルミタージュにキャストとセットを入れて、その空間に展開された歴史絵巻を再現したばかりか、それを美術館内部を移動しながら90分ワン・カットで撮影するという画期的な方法で実現した。90分ワン・カットという空前の撮影は、デジタル・ハイビジョン・カメラと大容量ハード・ディスクによってはじめて可能になった。

 雪の舞う王宮の中庭で馬車を降りた着飾った婦人たちのあとをカメラとともついて行くと、名画やコレクションが飾られたエルミタージュのそれぞれの間(ま)で、コレクションにまつわる人物が現れたり、歴史のひとコマの情景に出くわしたりする・・といった趣向。宮殿内の劇場では、エルミタージュ(「隠れ家」)を創設した女王エカテリーナが自作の舞台の観劇後、尿意をがまんできずに走り出していく。

 ドイツから政略結婚でロシアに嫁いで、夫を暗殺して帝位についた女王は、その離宮の隠れ家の扉に「この扉を通る者は、帽子とすべての官位、身分の誇示、驕慢さを捨て去るべし。そして陽気であるべし」というプレートをかかげた。エカテリーナは、フランスの啓蒙思想と文化を好み、知識人たちを招いて交流した。
 この映画では、エルミタージュの時空を旅する客人の役を19世紀の半ばにロシアを訪れ滞在したフランスの外交官、キュスティーヌ侯爵がつとめる。帝政ロシアの専制政治を告発したその著書「1839年のロシア」は、長く読み継がれた。観る者は、侯爵のヨーロッパの模倣に対する批判や鑑識と、カメラとともに同伴する現代のロシア人ソクーロフの声との対話をとおして、エルミタージュの迷宮を往くことになる。

 ヴァチカンのコピーである「ラファエロの間」からイタリア絵画の間へ。階段では、ロシアの国民詩人プーシキンの出迎えを受ける。イタリアの古典主義を代表するカノーヴァの彫刻がならぶ回廊では、盲目の天使があらわれて、彼女に導かれて、17世紀のフランドル絵画の間へ。ヴァン・ダイクの「ヤマウズラの聖母」の前では、小鳥の声のように絵のいわれが語られる。「スペインの間」では、エル・グレコの「聖ペテロと聖パウロ」をめぐって、不信の青年と議論し、「レンブラントの間」では、屈指の傑作「ダナエ」と「放蕩息子の帰還」に拝礼する。
 
「聖ゲオルギーの間」では、ニコライ1世がペルシアの使節団に謁見(えっけん)している。つづく黄金の列柱に飾られた「紋章の間」では、特注のセーブル陶器がならぶ晩餐会の準備が進められている。晩餐会の会場から追い出されてはいった真紅の「ピョートル大帝」の間でひそひそ語り合っているのは、現職の館長と前館長を含むエルミタージュの歴代館長たち。「小食堂」で食事中なのは、やがてロシア革命で最後の皇帝になるニコライ2世とその家族。「大ニコライ・ホール」の大広間では、マズルカの演奏にのって正装した貴族たちが踊る舞踏会がくり広げられている。このシーンには、ワレリー・ゲルギエフ指揮のマリーンスキー劇場管弦楽団が特別出演。
 舞踏会をおえた貴族たちのさざめきとともに「大使の階段」を降りるカメラは、人々の群れをはなれて戸口から海へさまよい出ていく・・。
 
 ソクーロフ監督は、ワンカットでこの作品を撮った理由について、「あたかもひと息のうちに作ったように創りたかった」といっているが、まさに栄華も歴史も「一炊(いっすい)の夢」というリアリティが、映画というメディアの特質と限界に挑んで表現されている。

 ペレストロイカ以前から公開禁止の映画をペテルブルクで撮り続けていたソクーロフが、ペテルブルク出身のプーチン政権のロシアでその建都300年に撮りえたこの映画には、歴史を生みだしては通り過ぎていく時間という〈幻影〉の姿の華やぎとはかなさが、見事に映り込んでいる。

2002年/製作ロシア・ドイツ・日本(NHK) カンヌ映画祭2002出品

販売元:紀伊國屋書店/5,040円(税込)

(2006/7/12 update)

 
 
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