セザンヌ / ルーヴル美術館訪問
世界を見ること、意味づけることのレッスン
私が、エクス・アン・プロヴァンスの町から40キロほど東の小村に滞在したのは、1990年の春から初夏にかけてだった。天安門事件で反体制芸術家となった中国の前衛アーティストたちがヨーロッパにデビューする野外展に参加してのことだったが、サント=ヴィクトワール山の麓の村にその後アートシーンでめざましく活躍することになる作家たちが集まったのは、芸術の都パリを遠くはなれた土地から近代絵画に革命をもたらしたセザンヌの遺志を継ごうとする目論見(もくろみ)もあったはずだ。
乾期にあたる季節、毎日同じように青い空の下には、セザンヌが描いたエクス側からの眺めとはちがって、神々がつくった石灰の巨大な壁のように長々と横たわるサント=ヴィクトワールの山稜が視界を取り囲んでいた。小さな村は、ブドウ畑の海に浮かぶ小島だった。松林、草地、岩肌、藪(やぶ)・・。眼にふれる風景のそこここにひとりの画家が描いた絵が映り出してくるのは、ほかの場所では味わったことのない体験だった・・。
セザンヌの没後100周年の今年、プロヴァンスでは、故郷エクスを中心とする展覧会と記念イベントが開催された。改修された地元のグラネ美術館には、ワシントンのナショナル・ギャラリーから「プロヴァンスのセザンヌ」展が巡回し、セザンヌがたびたびモティーフとしたプロヴァンス地方の風景に焦点をあてた展示が行われた。サント=ヴィクトワール山、石切場、レスタック、ローヴのアトリエなど、展覧会は、セザンヌの作品を通してなじみのある場所ごとに構成されて、これら巨匠ゆかりの地をめぐるガイド・ツアーも催された。同時期にパリのオルセー美術館でも「セザンヌとピサロ」展が開かれ、セザンヌを印象派へ導いたといわれるピサロとの影響関係に焦点があてられた。
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ストローブ=ユイレによる映画「セザンヌ」(1989)は、エクス・アン・プロヴァンス近郊の旧アトリエの庭のマロニエの木、サント=ヴィクトワール山の遠景、画家モリス・ドニが撮影した野外で絵筆をとるセザンヌのスナップ写真・・そしてセザンヌ作「ロザリオを持つ老女」(1896)の固定ショットにガスケによる評伝に記録されたセザンヌのことばが、ナレーションされる。
「私は描いているときに、フロベールの色調を見ていました。それは一種の大気で、何とも言葉にしにくいものですが、青味を帯びた赤褐色で、私には(フロベールの小説の)「ボヴァリー夫人」に漂っている色だと思えるのです。・・私はその絵を仕上げてから、初めて私は農事共進会の老女中の記述を思い出しました」
ジャン・ルノワール監督の映画「ボヴァリー夫人」から農事共進会のシーンが引用される。ふたたびサント=ヴィクトワール山の遠景。・・・・
引用されているジョアシャン・ガスケ「セザンヌ」(原著1921年、高田博厚監修/與謝野文子訳/求龍堂)は、セザンヌを知ろうとする者が必ず手にする文献としてあまりにも名高い。有名なセザンヌの言葉のいくつかの出典元でもあるが、ガスケも「空想的な対話」とことわっているように、画家との対話にもとづきながら、創作と先行する画家に関するベルナールやゾラ他の文献を踏まえて書かれた。ガスケは、セザンヌの幼なじみの友人の息子で、それは晩年の老画家と若き詩人の5年あまりの親交にもとづく記録である。
イーゼルの上の「庭師ヴァリエ」(1906)・・「絵というのはとにかく難しいものだよ・・・。いつだって捕まえた気になるのに、けっして捕まえられない。休むことなく百年、千年描いたとしても、やっぱり何も知らないと思うよ。私はキャンバスをたった五十センチほど塗ることに手こずって、必死になっているのだから。仕方ない。これが人生だ・・・。恐ろしいものだ、人生は!」
水彩・パステルの裸婦につづいて、セザンヌが1898年夏に移り住んだパリの芸術家村(ヴィラ・デ・アール)正面にある鉄の門扉が映される。
他に、「りんごとオレンジ」(1900ごろ)、「ローヴから見たサント=ヴィクトワール山」(1906)、「ビベミュの岩と枝」(1904)、「果物とびんと椅子の背のある静物」(1906)、「大水浴」(1906)・・セザンヌの諸作と「セザンヌ伝」からの引用に、ストローブ=ユイレ「エンぺドクレスの死」(1986)からエンぺドクレスが自然のエレメントの力について語るシーンが挿入されている。
セザンヌは若いころからラテン文学に通じて、古代哲学の宇宙生成論に関心をよせていたと、ストローブは語っている。
この作品は、パリのプチ・パレ美術館で開催された初期のセザンヌ展のために製作されたが、完成試写を観たキュレイターたちによって上映をキャンセルされた。ストローブ=ユイレの面目躍如というべきか・・。
このDVDに収められた映画の製作者、ストローブ=ユイレ(Straub-Huillet)とは、ジャン=マリー・ストローブ(1933生)とダニエル・ユイレ(1936生)による共同監督を示すコード・ネームである。
共同製作者であり夫婦でもあるストローブとユイレは、1954年パリのソルボンヌで出会い、ゴダールやトリュフォー、エリック・ロメールたちと親交をむすんで映画を志したが、ストローブがアルジェリア戦争の徴兵を忌避してミュンヘンに逃れたために、彼らの初期作はドイツで製作された。同世代のフランスのヌーヴェルバーグとは別にヨーロッパのシネアストのなかでも、もっともストイックでミニマルなスタイルを確立したかれらの映画には、ドイツと同世代、夫婦による共同製作といった背景からすると、戦後ドイツを代表する現代写真家ベルント=ヒラ・ベッヒャー夫妻(給水塔や溶鉱炉など近代遺物をモノクロームで撮った写真シリーズで知られる)の作品などとの共通項が見てとれる。
かれらの名を最初に高めたのは、「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(1967)である。バッハの妻アンナの手記にもとずくこの作品は、バロック古楽演奏の第一人者、グスタフ・レオンハルトがバッハに扮して、バッハの時代のコンサートが記録映画のように再現されたので、クラシック・ファンにも注目された。
ストローブ=ユイレの映画を際だたせるストイックな形式の特徴として、映画やドキュメンタリーのクリシェ(常とう的なスタイル)であるドラマとその進行にそったシーンの展開を拒んで、映像に先行するテキストのナレーション(あるいは登場人物たちの独白)を伴って長回しで延続される固定ショットがある。観客は、忍耐をもって、映像とことばによって規定された世界に対面する経過に、〈映画の時間〉ーその視覚体験の意味を自問することになる。
セザンヌをモチーフとする2本の作品では、その方法と形式はいかんなく発揮されているが、見ることの本質を追い求めた〈近代絵画の父〉という好素材をえて、かれらのフィルモグラフィーのなかでも、とりわけ明確な構造をもって伝わってくる。
「ルーヴル美術館訪問」(2004)では、「セザンヌ」と同様にガスケによる評伝のテキストによって、セザンヌがルーヴル美術館のコレクションについて語る。セザンヌとともに巡るルーヴル美術館ガイド・ツアーという趣向だが、この展示品の作者たちと「同業者」のガイドは、雄弁にして理知的だ。
対象となる作品リストは、「サモラトケのニケ」、アングル「泉」、ダヴィッド「マラー暗殺」、ヴェロネーゼ「カナの婚礼」、ジョルジョーネ「田園の合奏」、ムリリョ「天使たちの厨房」、ティントレット「天国」、ドラクロア「十字軍のコンスタンチノープル入城」「アルジェの女たち」、ジェリコー「メデューズ号の難破」、クールベ「牝鹿の闘いの大きな森」「オルナンの埋葬」など16作品。
「十字軍のコンスタンチノープル入城」・・・「きみはあの絵をみていないも同然だ。私は見た。死に色あせ衰弱する絵を。嘆かわしい。十年ごとに衰弱する。緑の海、緑の空を見せたかった。絵が展示されたとき、馬が、この馬がピンクだと非難された。見事だった。つやがあつた。ところがロマン派の画聖たちは高をくくって、ひどい素材を用いていた。画材屋たちは彼らを欺(だま)した。ジェリコーの『難破』も同じだ」
「メデューズ号の難破」・・・「見事な名作だが、もはや何も見えない」
「オルナンの埋葬」・・・「クールベだけが黒の顔料を使いこなす。画布に黒のシミをつけるのではなく・・。彼だけだ。ここでは岩のなか、あの木の幹のなかのように。彼は一気に零落することができた、生のある一面や貧民の一人の哀れな生活に。いいかね。そして彼はそのあと哀れみつつ元にもどる」
「誰がクールベを理解するか。彼は牢(ろう)にぶちこまれる。・・私は抗議する。(クールベの友人で左翼言論人ヴァレスの言葉)『この画布をしかるべき場所に、光のなかに置くべきだ。皆が見えるように。われわれのフランスには、このような絵がある。われわれはそれを隠している。ならば、ルーヴルに火をつける。今すぐに・・。美しいものが怖いなら』・・私はセザンヌだ」
各作品の固定ショット(全体とディテール)にセザンヌとガスケの対話がつづき、ラストにストローブ=ユイレ「労働者たち、農民たち」(2000)から、廃墟となった谷間の村の自然をとらえたファースト・シーンが映る。最後に出てくるクールべの作品などは、後年にオルセー美術館へ移されたので、映画ではセザンヌの時代のルーヴルが再現されているともいえるだろう。
この作品は、ニコラ・フィリベール監督「パリ・ルーヴル美術館の秘密」(1990、本サイトのバックナンバーに紹介あり)が製作の動機になっているという。「パリ・ルーヴルー」もドキュメンタリー映画の傑作だが、同じルーヴルを被写体とする2作品のいちじるしい対照には、映像作家ストローブ=ユイレの強烈無比な個性がきわだって感じられる。
このDVDには、ほかに2本の短編が収録されている。
「アン・ラシャシャン」(1982)は、マルグリッド・デュラスが書いた唯一の童話「ああ!エルネスト」(1971、のちに中編小説「夏の雨」(1990)となる)を原作とする短い劇映画。題名は、フランス語で「何度もくり返して」を言いまちがえた表現(「何度もぐり返して」)である。デュラスは、学校に行かなくなった一人息子をモデルに絵本のための童話を書いた。ロケーションは、パリの小学校の教室で行われた。デュラスも続いて自分で映画化(「子供たち」(1984))している。ストローブはあるインタビューで、60年代の終わりにデュラスからひとり息子の登校拒否について相談された憶い出を語っている。
「ロートリンゲン!」(1994)は、ストローブの故郷であるフランス北東部ロレーヌ地方の歴史を語るモリス・バレスの小説「コレット・ボドッシューメスの一少女の物語」(1909)をテキストとする。ドーデの小説「最後の授業」でも知られるように同地方を含むアルザス=ロレーヌは、普仏(プロシア-フランス)戦争や第一次世界大戦では占領されたり割譲されたりした。そのたびに公用語はフランス語からドイツ語に強制変更された。ロレーヌ地方モーゼル県の県都メスの風景とともに、1870年のメスの町に生きた少女とその地縁の人びとの独白によって強制移住の歴史が語られていく。フランス語のセリフにドイツ語字幕が付く。少女役には、ストローブの姪(めい)がキャスティングされている。メス出身のストローブ自身も1960年代に徴兵忌避によって訴追され、11年間ドイツへの逃亡を余儀なくされた過去を持つ。ベルリンの壁崩壊後、EU統合が進展する状況で製作されたこの作品では、「美しいひとつの欧州」といった表面上の理念が批判的に告発されている。言語に執心する映画作家、ストローブ=ユイレの原点と背景を知るうえでも必見の作品といえるだろう。
「セザンヌ」 1996ドイツ・フランス合作/カラー/50分
「ルーヴル美術館訪問」 2004フランス/カラー/48分
「アン・ラシャシャン」 1982フランス/モノクローム/7分
「ロートリンゲン!」 1994ドイツ・フランス合作/カラー/22分
販売元:紀伊國屋書店/5,040円(税込)
(2006/12/11 update)
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