ミステリアス・ピカソ
完成のない創造のひみつ
これはピカソの制作過程を撮した美術ドキュメンタリーの傑作として、史上に名高いフィルムである。20世紀最強の画家に対するのは、「情婦マノン」「恐怖の報酬」などサスペンス映画の巨匠アンリ・ジョルジュ・クルーゾーを監督に、撮影は、あの「ピクニック」の監督でルノワールの息子のジャン・ルノワールという当時のフランス映画界を担っていた強力スタッフ。
1956年といえば、すでにピカソは75歳だが、まだ5年先にジャクリーヌ・ロックと3度目?の結婚をするパンツ一枚の姿の老人には、ゴリラの王のように精悍(せいかん)な貫禄がある。特徴的な大きな眼を光らせながら、紙やキャンバスを相手につぎつぎに練達の妙技を惜しげもなく披露していく。
最初は、イーゼルに立てた紙を挟(はさ)んで、画家とカメラがその両側に位置して、マジック・インキで書き進めるにつれて紙を透過する絵を裏側から撮影する方法がとられる。鳩、画家とモデル、顔、馬と女、牧神、サーカスなど、おなじみのモチーフが一筆書きの即興でつぎつぎに描かれていく。軽妙でいきいきとした線の妙技も圧巻だが、そのけた外れのバイタリティは強烈。
ピカソの多作は有名で、晩年の「エロチカ」や戦禍の最中も制作しつづけたといったエピソードも沢山あるが、造形芸術と生命力の直接の関係がなまなましく伝わってくるのも、フィルムならではだろう。連続する撮影の疲れを気づかうスタッフに巨匠は平然として、「夜通しやってもいい」と。
ウォーミング・アップという感じで十数点ほど、マジック・インキによる素描を描いたところで、ピカソが提案する。「絵の下の絵も見せたい。重ね塗りの過程も見せよう。毎日、アトリエで描いている油絵を使おう」
まず前と同じようにマジックで紙に描いた「雄牛の頭」に着彩する作品につづいて、横長のキャンバスに大作が描かれていく過程が撮影されていく。
制作の工程が進むごとに画家は画面の外に出て、画面のみを記録するという方法によって、それぞれの絵がどのように描かれたかが純粋にドキュメントされる。
最初の大作の静物は、コラージュを主に貼り絵のような進行。つぎの横たわる裸婦は、木炭のデッサンからはじまるので、油彩に移って描かれていく様子は、アニメーションのように見える。
闘牛の絵が2点つづいた後、最後は、夏の浜辺のバカンスの人々を描いた「ガループの海岸」。
人物を中心に多様なモチーフを入れ込んだ構図が、完成に近づいたかと思うと、また大きく描き直されて、飽くことなく変化していく。表れては消えていくその過程のそれぞれが、別な作品といってもいいのかもしれない。このフィルムには、その瞬間にしかなかった未知のピカソの作品が多数記録されている。・・ふつうの画家が、下絵に始まって一枚の作品の完成をめざすといったあり方とは、まったくちがうピカソの創造の真相がそこにはある。この点ではジャコメッティも共通するが、あれほど有名であっても、その作品がどうなのかと考えだすと容易にわからなくなるのは、かれらの例外的な才能のあり様にもよるのだろう。
たとえばピカソは、ベラスケスやクールベ、ドラクロアといった大画家たちが完璧に描いた名作をもとに、いくつもそのバリエーションの連作を描いているが、その場合と同じように構図の軸を移して全体を変化させるといった作業をオリジナルの1枚の絵を描くなかでもたえずやっている。それはあたかも可変していくプロセスそのものが、世界の生の唯一うたがいのない姿なのだというように・・。
この作品は、画家の記録映画としては、ジャクソン・ポロックを撮ったハイネ・エイムスのフィルム(本サイトのCINEMAバック・ナンバー「ポロック
2人だけのアトリエ」参照のこと)と双璧といえるが、その後の美術ドキュメンタリーのお手本になりながら、これを越える傑作は生まれていない。美術家のドキュメンタリーといえば、制作する姿を撮すのがふつうだが、創造される作品に徹底して焦点をしぼった構成は、シンプルで深い内容を持つ。単純な作業の積み重ねの賜物(たまもの)として、作品が生まれでる神秘の時間を生け獲ることに成功している。
サービス精神も旺盛なピカソの天才との共同制作だからこそできた、ワン・アンド・オンリーの傑作。
1956年度カンヌ国際映画祭審査員特別賞
1956年フランス/カラー/80分 発売元:紀伊國屋書店/5,040円(税込)
(2007/2/9 update)
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