印象派 若き日のモネと巨匠たち
もっとも有名な画家たちの、それほどには知られていない人生
「東京六本木に世界のモネ集結」のコピーのもと、開館した国立新美術館の目玉企画としてパリ・オルセー美術館との共同で開催された「モネ大回顧展」(4月7日ー7月2日)は、国内外から集められた約100点の主要作が連日観客をよんで盛況だった。想像以上に国内のコレクションが多いのは、日本人の印象派好きの証しでもあるが、世紀が変わってもいよいよモネが、大人気画家であることは言うまでもない。ただその人物像となると、手紙や伝記などによって作品同様の強烈なイメージが伝えられてきたゴッホ、ゴーギャン、セザンヌたちとはちがって、ルノワールとともに印象派の主役として、まずまず穏当な生涯を送ったと見られている。たしかに印象派のなかでは、もっとも長生きをして、晩年もジヴェルニーの邸宅の庭の睡蓮を描いた大作を旺盛に制作したその生涯が、前の3者に比べて穏当であったとするのは間違いではないだろう。そうであるだけに印象派の中心人物であった画家の人生が、どのようであったかをあらためて知りたいという気持ちの動きがある。
映画は、1920年フランス、ジヴェルニーの屋敷で庭を描く晩年のモネに若いジャーナリストが印象派の誕生から後年までの思い出をインタビューする設定で進行する。池にかかる橋の絵に筆を入れる白髭の巨匠も、80歳になって印象派の仲間たちは皆すでに亡くなり、白内障の進行が、睡蓮の大作の完成を滞(とどこお)らせている。
第1部は、1862年パリのアカデミーでのルノワールたちとの出会いから、マネを先導者としてアカデミズムを打破する光の絵画を生み出すまで−。
将来の大画家を夢見て、パリの美術学校にはいった若者たちを待っていたのは、ティツィアーノの名画のヴィーナスを真似てポーズをとるモデルを写すことを強要するしか能のない教授のデッサンの授業だった。「本当のアトリエは外の世界にある」と、フォンテーヌブローの森のなかにイーゼルを持ち出したモネ、その親友のバジールとルノワール。森で描いていると、練習に来ていた円盤投げのチャンピオンが放った円盤がモネの脚を直撃する事故に見舞われたり、批評家との決闘では血が流れたり・・。画壇への登竜門は、退屈な歴史画や肖像画に埋まったサロンに入選することに限られていたが、画家の卵たちのスターは、サロンに挑戦して、落選者展に出品された「草上の食事」(1863)がスキャンダルの的となっていた8歳年長のマネだった。マネは、古典名画の題材を現在の人物と状況に大胆に翻案した「オランピア」や「皇帝マクシミリアンの処刑」といった問題作をつぎつぎに制作した。落選続きのなかで、ようやく初入選したモネの「緑色のドレスの女」(1866)は、尊敬するマネを手本にした作品だった。面識のない若い画家が自分と似た名前であることにマネは侮辱された感じを受けたが、またそれは画家の才能を認めたからでもあった。入選作のモデルになったカミーユの出産によって、モネはセーヌ河口の港町ル・アーブルで食料品店を営む実家から勘当され、物価の高いパリから家族を連れての放浪の日々を送る。ラ・グルヌイエールなど自然豊かな郊外や地方の風景のなかで描かれた名作は、そうした生活苦のなかで生まれたが、戸外の制作のなかで画家たちは、光と色彩との婚姻を確かなものにしていった。
1870年普仏戦争(対プロシア)がはじまったのは、新婚旅行中のことだった。モネは家族とロンドンに避難(ターナーを観て、後年には霧のテムズ川や議事堂の連作を描くことになる)。包囲されたパリに残ったマネとドガは、国民軍の砲兵隊に入って闘った。ルノワールは、配属先で赤痢に罹り、才能を期待されたバジールは、29歳で戦死・・。戦後のサロンは、よりいっそう愛国色が強まって、保守化した。オペラ座の楽屋に通って、踊り子の少女をパトロンが囲う裏舞台の人間模様を観察するドガ。アカデミーを否定し、現代生活を描くことでは一致していても、アングルを敬愛するドガはデッサンを重視し、屋外での写生を認めなかった。モネたちの自然の光とは、対照的な人工灯と夜の光を描いた年上のドガ、それは彼の弱い視力が外光を嫌ったせいでもあった。
第2部は、ル・アーヴルの海辺で描かれた「印象・日の出」(1873)の誕生秘話から。それは夜明けに起きて、日の出を見てから30分たらずの速筆で描かれた。「瞬間を描く」という座右の銘は、クールベの言葉から。モネがこの作品を出品して、「印象にも残らない、ただの印象画」「壁紙のほうが完成度が高い」と、さんざん貶(けな)されたことで「印象派」の名が生まれた第1回印象派展(1873)の出品作は、ルノワール「桟敷席」、セザンヌ「首吊りの家」、ドガ「バレエ教室」、モネ「アルジャントゥイユのひなげし」など、どれも後世には数限りなく印刷されることになる傑作ぞろいだった。だが無視と悪罵による展覧会の失敗は、画家たちに深刻なダメージを与えた。モネを立ち直らせたのは、サン=ラザール駅で見た汽車の蒸気だった。この駅は、モネが住んでいたアルジャントゥイユや故郷ル・アーブルとパリをむすぶ路線の発着駅。蒸気を描くために一時汽車をとめて、石炭を大量にくべて蒸気を特別に噴(ふ)かしてもらった。(この連作には、同構図で晴れの日や曇りの日を描いたものがあるが、今回の回顧展で観られたのは、オルセーにある晴れの日の作品だった)。印象派への風当たりがいくらか変わりだしたのは、「サン=ラザール駅」(1877)を出品した第3回展(ルノワール「ムーラン・ド・ラギャレト)ぐらいから。愛妻カミーユの死(1879、32歳)。死にゆく妻の顔を描く。サロンへの出品と印象派展を牛耳るドガとの対立。画壇に地位を確立しながら、リューマチに苦しむ晩年のマネと資産が借財になって孤立するドガの語らいー「時の流れは早い。若いころは夢を抽出しに入れて鍵をかけたものだが、いまはそれをなくした。帰るよ、日射しも弱まるころだ・・」
第3部は、1881年レジオン・ドヌール勲章を受けたマネの祝賀会で和解するモネとドガ。しかしすでに中年の画家たちは、それぞれ別な道を歩きはじめていた。モネは、破産した元コレクター夫人アリスと内縁関係となって、4人の連れ子と実子2人の大家族を養うために「筆を止めたら飢え死する」現実に追われていた。・・誰よりも激しい攻撃の的になったセザンヌは、故郷エクス=アン・プロヴァンスに籠もって孤高の闘いを続けた。内縁の妻と息子を隠しての銀行家の父との確執。モネとルノワールのプロヴァンス訪問。60回もサン=ヴィクトワール山を描きつづけたセザンヌ。「天空をめざしつつ、地に落ちた彼と同じ姿だ」。画家というよりは「狩人のように」風景を求めて旅するモネ。「エトルタの断崖」(1883)。「セザンヌは構築し、わたしは二度とはない瞬間(の定着)を求めた」。・・マネの左足切断と、その葬儀(1883)。セザンヌと同郷の幼な馴じみであったゾラは、パリで作家として成功し友情と理解を示していたが、やがてその小説「制作」(1886)のなかで画家を不完全な天才の失敗者のモデルにし、印象派を攻撃した。これに抗議したモネは、ドガとルノワールに呼びかけて、マネの「オランピア」を2万フランで購入し国家に寄贈した。
ジヴェルニーの屋敷に住みはじめたのは1883年のこと。沼だった場所を川をせき止めて、庭と池を造り睡蓮や柳を植えた。蒐集し構図にも活用した浮世絵をまねた太鼓橋も。まわりの田園の景色からは、「積みわら」の連作が生まれた。晴れ用と曇り用の画布を同時に立てて、光の変化によって画布を変えて描いた。15枚描いたが、3日ですべて売り切れた。ようやく人びとが自分と同じ視点を共有しはじめて、積みわらのような現実のモチーフを受け入れ、滑らかな古典画の仕上がりを要求しなくなったのを感じた。積みわら以後は、ポプラ並木、そしてルーアン大聖堂などの連作形式が増えてた。ジヴェルニーでの昼食会にセザンヌを招待して、ロダンや皆でその孤高の道を励ました。ルノワールに次男のジャンが生まれたというのも、その時の話題だった。カトリックの妻と正式に結婚できたのは、1982年。その死(1910)の後は、3年間描けなかった。セザンヌは、画商のヴォラールが説得し、とうとう個展を開かせて成功したが、遅すぎた。まもなく彼は亡くなり、ルノワールも死んでしまって、誰もいなくなってしまった・・。
BBC製作の美術映画は、P.オトゥール主演の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」をはじめ、本格的な考証と親しみやすいドラマによる名作も多くて定評がある。ドキュメンタリーに限らず、名優を配役に劇映画にしてしまうところにイギリスらしさもあるが、全3時間の本作が、DVD3枚セットに収録されているのは、1回1時間のTVプログラムとして製作されたフィルムであるから。
いまとなっては、もっともポピュラーな美術史上のドラマのひとつといえる印象派のエポックを、史実を踏まえて、作品と風光ゆたかなロケーションと人間ドラマをバランスよく織り込んだ仕上がりは見事である。回想形式という演出が、俳優たちの演技力と人生の誰にでもあるようでそれぞれに痛切なエピソードと、現地ロケの映像とともに、盛りだくさんのドラマをフィクションにしてしまうことから、ドキュメントに引き戻す効果をみせている。
(印象派をめぐっては、本サイトCINEMAバックナンバーの『田舎の日曜日』『セザンヌ/ルーヴル美術館訪問』やBOOK『知覚の宙吊り』『絵画の熱帯』『空と海』などを参照のこと。とくに『田舎の日曜日』は、印象派と同時代を生きた画家が晩年にパリ郊外の屋敷で過去を回想する設定のよくできたフィクションなので、本作との比較には好適。『知覚の宙吊り』『空と海』は、印象派誕生の背景を広く文明と知覚の変化から分析した印象派研究の必読書。『空と海』には、鉄道の発達とモチーフの変化ついてモネの『サン=ラザール駅』が取り上げられている)。
◎開催予定「フィラデルフィア美術館展ー印象派と20世紀の美術」(10月10日ー12月24日 東京都美術館)
監督ティム・ダン、キャスト:ジュリアン・グローヴァー(老年のモネ、『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』『トロイ』)、リチャード・アーミテージ(青年のモネ)、アンドリュー・へイベル(マネ)、アデン・ジレット(ドガ)、ウィル・キーン(セザンヌ)ほか
2005年イギリス/カラー/175分
販売元:ハピネット/¥7,140(税込)
(2007/9/10 update)
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