天使
「牛乳を注ぐ女」と天使の出会い
家出中のフェルメールの「牛乳を注(そそ)ぐ女」に会った。六本木の新国立美術館で開催中の「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」(9月26日ー12月17日)のレセプションの夕刻に。ヤン・ステーン、テル・ボルフなどの17世紀オランダ風俗画と素描、版画、工芸品(フェルメールがモチーフにした古楽器の展示も)100点以上が出品されているなかで、フェルメールはだだ1点。日本初公開、350才になるこの女性、代表作中の代表作であるこの作品が、これまでオランダ国外で展示されたのは5回だけという。
ほかの作品を前座と後衛に従えたフェルメール1点と研究資料のために1部屋が用意用意されていた。いまや国立アムステルダム美術館(フェルメール作品は4点所蔵)の至宝であるこの作品が、長期借り出し可能なのは、美術館が大規模な増改築中(2008年完成予定)だからであり、リフォーム中の家からフェルメールが描いた女たちが世界巡業に家出している・・・と考えるとおかしいが、美術館の財政を家計とすれば、それも事実にちがいない。レセプションの会場で絵に似せたメイドの衣装を着た女性が、フレッシュ・ミルクをサービスしていたのには、オランダがヨーロッパを代表する乳業国であることが思い出された。(フェルメールについては、本サイトCINEMAのバックナンバー「真珠の首飾りの少女」「オランダの光」、BOOK「フェルメール全点踏破の旅」を参照のこと)。
東京の街を歩き地下鉄に乗った先の美術館で、フェルメールや遠い時代に描かれた古画に向き合うというのは突飛な体験といったほうがいいのだろうが、「牛乳を注ぐ女」に会った夕方は、まだ暑く思ったより招待客が少なかったせいもあってか、日本のこうした展覧会にしては、めずらしくゆっくり絵の正面間近に立つことができた。それと一部屋に1点、それも開館間もない新美術館での展示のためか古画にしては比較的見やすい照明という条件も味方して、「牛乳を注ぐ女」に会えたーという実感をかなりしみじみと持つことができた。夏の終わりの陽が傾きかけたころに美術館にはいって、陽が沈んだころには美術館をはなれた。
その間のフェルメールの絵とともにいた時間、そうした瞬間になにを思うかといえば、一体どのくらい、いつまでこの絵を見ればいいのか・・・自分がいて世界の時間が流れている、その現実と時間というもの自体への戸惑いを覚える。これは音楽や文学とちがって、すぐれた美術作品と対面する際に生じる独特な感覚だ。よく言われる画面に充ちる光に加えて、透視図法によって水差し壷から注がれるミルクに焦点が絞られる「牛乳を注ぐ女」は、フェルメールのなかでも、とりわけ時間という現象がありありと眼に映る一枚だろう。
日常の瞬間のスナップのようにもみえるフェルメールの作品も、ほかの同時代の絵と同様に決まった意味がある寓意画や、家事労働の徳を語る教訓画のプロトタイプに拠って描かれた風俗画ではある。ほかの画家のそれらが、あくまでも寓意や教訓を伝えたり、猥雑でもある日常の姿態を写しているのに対して、フェルメールの筆は、通俗の塵を濾過(ろか)して、瞬間や細部のなかにある秘蹟へ向かう。神は細部に宿り給う・・・十字架のドラマや復活の奇蹟ではなく、日常にある世界の豊穣に視覚の極致を通して心眼を開かせる。それでも画家と同じ階層の女性をモデルにした作品や肖像は、描かれたモデルやその場面に物語的な関心をよぶのに較べて、使用人の日常家事の一瞬の動作を描いた作品や風景画は、見る者をより純粋な視覚体験に誘う。(「牛乳を注ぐ女」、「窓辺で水差しを持つ女」(メトロポリタン美術館)、「デルフト眺望」は、ベスト3ー)。
パトリック・ボカノウスキーの「天使(L´ANGE)」(1982)は、実写とストップモーション・アニメによって、「牛乳を注ぐ女」を引用したユニークな映像作品である。天井の覗き穴から、下方の様子を覗いているようなシークエンス。闇のなかを小太りの家政婦が陶器の水差し壷を運んでいく。フランドル絵画のようにテーブルに盛られた果物と器。卓に坐っている男(主人)。卓上から落ちて床にくだける壷と、闇に飛び散る白いミルク。弦楽をミクスチャーしたミニマルに抑揚する音楽のリズムとともに移動する家政婦、落下する壷の連続カットと飛散するミルクのシーンが反復され、不可逆なはずの時間が進行と遡行をくり返す。
それは「天使」の2番目のシークエンスだが、最初のシーンでは、階段を上った先にある部屋のなかで、貴族風の男が吊された少女の人形にサーベルを突き刺す練習をしている。振り子のように揺れ動く人形の影、回転する動作や椅子に坐って休憩しては、また同じ練習をする様子が延々と反復される。この男の顔も、先のフェルメールの絵のようなシーンに登場する男と同様に無表情なマスクに覆われている。
別なシークエンスでは、古書を蒐(あつ)めた図書室でフロックコートを着た男たちがせわしなく本を運んだり、点検する動作を繰り広げている。高笑とともにバスタブに入浴する男は、時計の針音とベルが鳴り響く部屋が傾くとベッドから転がり落ちて起床、人形の女(妻?)に監視されながら身繕いをして正装する。また別なシークエンスでは、荒涼と広がる地平線上に方形の建物があって、そのなかで踊る裸の女のシルエットが見える。地平線の上を竿(さお)のように長い棒を持って駈ける一群の男たち・・・。反復の後にふたつのシーンは、ひとつになって男たちは棒で女のはいっている空間の壁を突き壊しはじめる。
それぞれのシークエンスの間は、闇のなかを上部から光が射し込む階段をのぼっていくシーンでつながれている。どうやら暗黒に囚われたそれぞれの空間(次元)をしだいに上昇して、光の天空?へ近づいているらしい。七つの空間をぬけた最後には横に広がった大階段があって、強い光線が明滅する空間を昇ろうとする者たちの姿がはげしく明滅するフラッシュに浮かび上がる。ついに階段をよろめきながら上りつつある一人の天使らしき後ろ姿がとらえられるが、その翼の影は、燃え上がっている・・・。
階段は、ヒッチコックやエイゼンシュティンなど名画の舞台装置として欠かせないアイテムといえるが、ラストシーンの大階段は、映画史に耀く「戦艦ポチョムキン」の名場面、オデッサの虐殺シーンへのオマージュであるのは言うまでもない。
各シーンのイメージは、フェルメールやブリューゲルなどの古画に基づいているように、それらは当時の画家が利用したカメラ・オブスクーラ(暗箱装置/ピンホールカメラ)に映り込んだ映像のように製作されている。囚われた人間たちが偏執的な動作をくり返す〈七つの煉獄〉と次元の上昇、そして天使とは、ダンテの「神曲」の変奏であり、それぞれの不条理な状況のテイストは、カフカの小説のそれを想起させる。
パトリック・ボカノウスキーは、1943年生まれ。絵画、光学、写真を学んだ後、短編「白粉(おしろい)を塗る女」(1972)でデビュー。本DVD収録作品のほかに「朝の食事」(1974)「偶然の分け前」(1984)「鴨のオレンジ・ソースの蒸しかえし」(2002)など。画家としてドローイング作品も発表している。音楽は、ボカノウスキー夫人のヴァイオリン、ヴィオラ奏者ミシェル・ボカノウスキー。モーリス・パケ(図書館員、『どん底』『星と嵐』の名優)、マルティーヌ・クチュール(家政婦)、ジャック・ホール(サーベルの男)、ジャン・マリー・ボン(風呂の男)、もとクレージー・ホースのスター、リタ・ルノワールなどの異色キャスト。
1982年のカンヌ映画祭批評家週間で上映されると、「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエル)の再来と絶賛され、5年の歳月をかけて作られたミニチュア装置、ストップモーション・アニメと特殊効果による異形の映像は、以後の実験映画に絶大な影響を浸透させたカルト・ムービーの傑作ー。
同時収録されている短編「海辺にて」(1992)は、渚で遊ぶバカンスの人々の姿を淡々と撮してアナモルフォーシスを描くアンビエントな映像と音楽。特殊レンズのフィルターや鏡面に映じた単色の映像の歪みは、水墨画やキュビスム、アシル・ゴーキーの絵を思わせる。1992年モントリオール映画祭短編部門批評家賞受賞。
1982・1992年/フランス/カラー/74分・13分
発売元:アイ・ヴィー・シー/¥4,800(税抜)
(2007/10/11 update)
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