アルベルト・ジャコメッティ 本質を見つめる芸術家
終わりなき創造の使徒の証人たち
ジャコメッティ―。この特異なひびきの名前を持つ彫刻家への親近は、おそらくある時期からの日本での受容のきっかけが多くそうであったように、矢内原伊作の「ジャコメッティとともに」を読むことにはじまった。
日本人の渡航が限られていた第二次大戦後のパリへの留学したヤナイハラが、針金のように細い奇妙な彫刻を作る一人の彫刻家と友情をむすぶ。そのモデルとなって完成のない執拗な制作現場をともにした記録は、きわだつ彫刻家の個性と芸術が息づく街パリの空気とともに、通常の美術論や伝記ともちがう、生々しい芸術家の生態を読者に伝えた。なんども描き直して完成したかと思うとまたつぶして、描きはじめる息詰まるような探求。帰国の期限が迫るモデルを彫刻家は、あらゆる言葉で虜(とりこ)にし続ける。読んでいると、まるで自分がジャコメッティのモデルになっているような気分になる。
もっとも、後年になってジャン・ジュネの「ジャコメッティのアトリエ」を読んだのをきっかけに前書を読み返してみると、モデルにされながら互角に彫刻家をことばで生け獲る稀代の作家の凄みにくらべると、「ジャコメッティとともに」のジャコメッティ像もあまい留学者の手記に感じられた。もちろんその落差には、それを読んだ少年の日から流れた時間も少なからず作用していたはずだが・・・。
この映画は、生前の彫刻家をよく知る人々のインタヴューに数少ないジャコメッティのドキュメンタリー・フィルムを織り交ぜて編集されている。冒頭に登場するのは、ジャコメッティの親友だった写真家ブレッソン。その手にかかげられた雨の日パリの舗道を頭からコートを被って横断する彫刻家の姿をとらえたスナップは、もっとも知られたジャコメッティのポートレートの一葉だろう。2人の親交は深く、彫刻家とその作品を撮影した写真も多い。2005年には、ブレッソンが撮ったジャコメッティとジャコメッティのデッサン、ブレッソンの作品による2人展がスイス、ベルリン、ニューヨークで開催された(2人の交友については、本サイトBOOKのバックナンバー、ブレッソン『こころの眼』参照のこと)。
20世紀が生んだ彫刻の最高峰であり、代表的な芸術家の一人に数えられる彫刻家ゆかりの2つの土地ーパリと故郷であるスイスの山村の風景に、彫刻家が残したたくさんの独白のメモからのナレーションがかぶる。「眼にみえるものは、すべてを凌駕(りょうが)する・・・」。「一体それはなんだ。決して忘れたくない恐ろしいことがあるのに、私を歓喜させるもの、空や木や美があるにもかかわらずー」。
スイスの近代絵画を代表する画家の父のもとで、幼いころから画才を発揮した彫刻家を育んだイタリア国境のアルプスに近いスタンパ村の風景ー。切り立ち迫る山の岩肌や山稜、家を囲む石積みは、空間に刻み込まれた創傷のようなジャコメッティの塑像を想起させる。2つの戦争のあいだとその後に多くの才能が集まり、互いを鍛えたパリで、名声を得る前も後も変わることなくそこでモデルと挌闘をつづけて、伝説と化した路地の簡素なアトリエ。まるめた新聞を片手に通りを歩いて、大きな鍵穴のある古びた木戸を開けて小さなアトリエにはいる彫刻家ー。
20代の初めに滞在しティントレットの絵画に影響をうけたヴェネチア。バーゼルのバイエラー財団が所蔵するジャコメッティ・コレクションの優品の数々。彫刻家が描く肖像画やデッサンは、いつも頭部のみを執拗に描いて、ほかの身体や背景はほとんど輪郭をとったぐらいにとどまる特徴がある。
指とナイフで、入念に肉づけられ削(そ)がれる眼窩(がんか)・・・。「一人の娘をデッサンしていて突然気がついた。生きている唯一のものは彼女の視線だ。残りの彼女の頭は、むしろ頭蓋骨に過ぎない。生者と死者のちがいをなすものは視線なのだ」。
画家バルテュス、ジャン・クレール(ピカソ美術館館長)、エルンスト・バイエラー(スイスの大画商)、ジャック・デュパン(美術評論家)、ジャン・ロード(伝記作家)、ヤン・クルジュ(画廊主)、ブルーノ・ジャコメッティ(末の弟、建築家)、シーナ・ジャコメッティ(従妹)・・・。同時代を共有し、その彫刻や素描のモデルにもなった人々の証言の重奏に呼びもどされる彫刻家の肖像。彫刻家の死から30年後、友人たちや親族もみな高齢に達している。「眼に見ているものに慣れると、それにだまされる。距離感を失うから、間違うようになる」と語るバルテュスは、インタヴューからまもなく逝去。ジャコメッティの弟も100歳になっている。
「庭を見ながら、言っていたわ。絵を描きたいが、どうやって描いたらいいのかわからない。神様があまりにもたくさんの葉や花を創られたので・・・。そんなアルベルトだったわ」。(シーナ・ジャコメッティ)
しかし何よりも眼をくぎ付けにするのは、たくさんの証言や風景とナレーションの間にカットインされる1965年に撮影されたというアトリエでのドキュメンタリーと、それより早い時期にスタンパで撮られたフィルム。モデルの微動を逃さず何ごとかをつぶやきながら画布に筆を走らせる彫刻家。芯棒に粘土を付けて生みだされると同時に削られていく塑像。濡れた布をかぶせて粘土の乾きを抑え、仕事を中断しカフェへ食事と友との語らいに出て行く。そこで何千回とくり返されたであろうジャコメッティの日常・・・。寒村の生家でも、リンゴや風景を描き、小さな塑像を造る。間もなく訪れる死が嘘のように、何度読んでも、その彫刻やタブロー、素描と同じようについいましがた記されたばかりと思わせる、「エクリ」(手記)のなかにいる彫刻家の姿が、夢でみた現場を目撃するようなリアリティの影をとどめて、フィルムから漂ってくる。
「失敗すれば失敗するほど、何かが生まれる気がする。私が進歩を感じるのは、(彫刻に)肉付けをしているナイフがどう握っているのかもう分からなくなっている時に、まったく途方にくれてしまい、でもなんとか続けることができると愚かになったとき、それこそが進歩の好機なのだ・・・」。
粘土を付けては削ぐ手を休めることなく、彫刻家はややかん高い声で語りつづける。
2005年スイス/カラー/本編約59分
発売元:ナウオンメディア(株)/¥3,990(税込)
(2008/2/12 update)
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