デリダ、異境から
「オルガス伯爵の埋葬」(エル・グレコ作)の前で母の死を語る
ジャック・デリダ(1930ー2004)は、アルジェリア生まれのフランスの哲学者。
構造主義以後のフランス哲学、現代思想を牽引(けんいん)した20世紀後半を代表する思想家、哲学者である。ルーヴル美術館所蔵の素描コレクションによる企画展のテキスト「盲者の記憶」(1990、本サイトBOOKのバックナンバー参照のこと)、アントナン・アルトーとその素描を論じた「基底材を猛り狂わせる」(1986)、「絵画における真理」(1978)など、訳書で読める美術に関する著作も多い。
生前、デリダが出演した唯一の映画フィルムとなった本作(1999)は、エジプト生まれの映画監督で詩人のサファー・ファティー(1958生)によって製作された、デリダ自身が語るモノローグ的な自伝である。ドキュメンタリー映画の完成後、デリダとサファーの共著でそれぞれが映画とその製作過程について記した「言葉を撮る」(2000)が出版された。同書の日本版の刊行にあたって、前記の映画のDVDが付録された。
映画は、デリダの生い立ちとその思想の形成に関わるさまざまな場所をめぐって、
デリダが直接その場所で語るか、あるいは本人、撮影者のナレーションとして言葉(テキスト、エクリチュール)と映像を重ねるかたちで編集されている。
ユダヤ人としてのルーツと幼年期の記憶に関わる北アフリカのアルジェリアの街エル・ビヤールの旧居、人種差別によって退学したリセ(高校)、父親の行商を手伝ったカビリア、幼くして死んだ2人の兄弟が眠る墓地、同じアルジェ出身のカミュにも霊感を与えた古代ローマの遺跡、港と地中海の海岸、スペイン・アンダルシア地方のアルメリアの荒野、古都トレドの旧ユダヤ人街、パリのアフリカ・オセアニア美術博物館(旧植民地博物館)、デリダが晩年を過ごしたカリフォルニアのビーチと海・・・。
これらのなかで、とりわけ余韻を残すのは、トレドの旧ユダヤ人街のシナゴーク(ユダヤ教の教会)にあるエル・グレコの代表作「オルガス伯爵の埋葬」(1586-88)の前で、デリダが絵画と母について語るシーンだろう。この絵で埋葬される伯爵を指さしている少年は、グレコの息子がモデルになった。トレドは、デリダがその思想の核心としてよく言及する「マラーノ」(「豚」の意。差別されながら隠れユダヤ教徒となって信仰を守ったスペイン系ユダヤ人。その多くは14〜15世紀の異端裁判や迫害で各国に追放されたが、改宗を装って残った者たちもいた。デリダの先祖もその一員だった)たちが多く隠れ住んだ街である。
「その構成は、上方と下方の間の、天使たちが捧げ持つ伯爵の魂の昇天と、それと同時の、埋葬された身体の降下の間で、力動化され、烈しい動きを与えられ、動転されているいるように見える。上方と下方とが、両者がいかに共約不可能であれ、一緒に提示されているところ、同時に不動化され、ある同じ空間の共時性のうちに、たがいに平行に、諸々の景もまたそうであるように、堅固に維持されているところ、そこにタブローがある」(ジャック・デリダ「一人の盲者に関する複数の手紙=文字」鵜飼哲訳、『言葉を撮る』)
「ところで『割礼告白』(デリダの著書)では、この映画と同じように、昇天の経験は誕生からも、復活ーここでは私の母のーからも、切り離されるがままにならない。ー中略ー彼女は、私の母は、まず死んだ者として見られる、その横顔は影に沈みその輪郭しか認められない、次の瞬間、色彩は再来し、ふたたび彼女は生き、微笑む、もう一つの夜の前の、一秒の亡霊」(同)
(この母親についての記述は、デリダが危篤になったスペインに住む母を見舞った後に、はじめて『オルガス伯爵の埋葬』の実作を観て、母の容態が持ち直した自身の経験に拠っている)。
ジャック・デリダ+サファー・ファティ「言葉を撮る」青土社/四六版/270頁
+DVD/サファー・ファティ監督/1999年フランス/カラー/68分/2,800円(税別)
(2008/5/16 update)
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