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チャイコフスキー
ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23
エミール・ギレリス(ピアノ)
1955年10月29日録音
バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71
フリッツ・ライナー指揮=シカゴ交響楽団
1959年3月30日録音
RCA VICTOR(輸入盤 09026-68530-2)

ギレリスのチャイコフスキー

♪歌謡曲、アメリカン・ポップス、セミ・クラシック
 前回、コンヴィチュニーをベートーヴェン交響曲演奏のものさしにしている話からはじめてしまったが、時系列にたどるなら、もう数年さかのぼって、ギレリスのことを語らねばならない。ギレリスは、私が現物のLPレコード盤なるものを生まれてはじめて自分の手でふれたときの演奏家ということになり、出会いはコンヴィチュニーに先立つ。
 
 家庭の環境しだいでは幼児や小学生のころからでもクラシックになじんでいくことはできるものだ。私の年代なら、蓄音機をまわしてSPレコードをきくことから出発していておかしくないが、私自身はやっと高校生になって入り口に立った。
 戦後60年の最初の10年ないし20年は、私の少年期から青年期にあたる。飽食の世代には想像のできない、食糧難のひもじい時代をすごした。猛烈なインフレに苦しめられもした。日本中、食うのにいそがしかった。レコードどころではなかった。
 音楽を聴くのは、もっぱらAM放送のラジオであった。

 十代半ば、中学生時代の私は、歌謡曲ばかり聴いていた。
 高校生になってから二十代のはじめ(私の場合、半大学生半社会人)にかけてはアメリカン・ポップスを好んで聴いていた。
 「S盤アワー」、ついで「L盤アワー」という番組があって、毎回リスナーからのリクエスト曲をかけていた。ドリス・デイやダイナ・ショアの人気が高かった。「S盤アワー」のディスク・ジヨッキー(当時もそう呼んだのかな)、帆足まり子さん(故人となられたが)の語り口と声が魅力的だった。

 ポップスを聴くいっぽうで、クラシックも聴きはじめていた。クラシック音楽には、一歩手前に「セミ・クラシック」と呼ばれるジャンルがあって、「ペルシャの市場にて」「ドナウ川のさざ波」というような、短く親しみやすいメロディーの曲から入門するのがきまりごとみたいに思われていた。
 小曲だけでなく、交響曲なども放送されていたにちがいないが、どんな曲を聴いていたのかは記憶にない。このころに大曲を聴いた唯一の記憶は、級友が貸してくれたSP盤の「運命」「未完成」「新世界」の3曲だけだ。返すころには盤面が白っぽくなっていた。

♪ギレリスのエピソード
 ギレリスに出会ったのはこんなときであった。
 ある日の放送でギレリスの名を耳にした。ひとつのエピソードとともに、チャイコフスキーのビアノ協奏曲第1番のレコードがかかった。
 そのエピソードというのが、ギレリスの演奏があまりにも速すぎて(第3楽章のことである)、米国でこのレコードが放送されたとき、プレーヤーの回転数を間違えているのではないのかという問いあわせが相次いだというようなことだった。

 ライナー指揮、シカゴ交響楽団との、1955年10月29日の録音である。ギレリスがはじめてアメリカ大陸に飛び、カーネギー・ホールでのデビューで大成功を収めた年の録音だ。同曲のコンサートではオーマンディ、フィラデルフィア管弦楽団と協演して聴衆を熱狂させた。その興奮のさめやらぬうちに録音された、記念すべきレコードだという。(私はずっとコンサートも、ライナー、シカゴ響と思いこんでいた。)

 入門者としては、どんな解説や宣伝にもまして、このようなエピソードに興味をそそられる。この放送をいっしょに聴いていた親友が、しばらくしてこのレコードの日本盤(多分。輸入盤など入手しようがなかった)を買ってきた。
 このギレリス盤が、LPレコードなるものを私が目で見、手にふれた第1号というわけなのである。

 まったく初めて聴く耳には、それがどれくらい速いのかを判断できるなにも持たなかったので、速いという放送の解説がそのまま刷りこまれてしまった。それでかどうか、鍵盤の上を指がころげまわってでもいるように、「コロコロ」と音を立てているというイメージが、いつのまにかできあがっていた。
 だから、コンヴィチュニーのベートーヴェンのように、ギレリスがチャイコフスキーのピアノ協奏曲(第1番)演奏の標準だと、確信をもっていいきるのはためらわれるが、やっぱりギレリスはいい。以来、ずっとギレリスを追ってきて、そう思う。

♪ギレリスの演奏時間
 この原稿のために、あらためて聴いてみた。私が持っているのは廉価盤になってからのLP(VICTOROLA SUP-2011 国内盤)とCD(RCA/VICTOR 68530 2)である。所蔵している同曲盤の演奏時間をすべて計測しなおすという酔狂をやりながら、聴きくらべもしてみた。私の所蔵盤を総合すると、第3楽章の演奏時間は平均6分35、6秒あたりになることがわかった。

 ギレリス&ライナーは6分10秒そこそこで演奏しており、たしかに速い部類にはいる。しかし、あわただしい感じは、ちっともしない。それは前の2つの楽章が理のある速度で弾かれているからである。ギレリスは第1楽章を20分14秒、第2楽章も7分02秒と、ゆっくりと気持ちをこめて弾いている。といっても思い入れたっぷりとか感傷的というのでは、まったくない。おちついてはいるが、おそくはないと感じる速度なのである。打鍵は力づよい。
 
 第3楽章に至るまでのギレリスの演奏を聴いていると、名状しがたいなつかしい想いが湧いてくる。はるか遠くに思いを馳せているような、あるいは来し方を静かに回想しているような気分に満たされる。うるおいと深みのある音である。ライナーのオーケストラもギレリスに感応している。たくみなサポートとか、丁々発止にわたりあっているという次元を超えた演奏だ。
 おなじギレリスでも、前年にアンチェルと組んだ演奏はいただけない。この盤は第1楽章も第2楽章も、第3楽章とおなじ調子で速い。醒めて味わいがない。第1、第2がゆったりだからこそ、あとの速さが生きている1年後の名演とは雲泥の差だ。アンチェルにひきづられたのか。
プレヴィターリとの盤も速いほうにはいる。アンチェル盤同様、おもしろくない。

♪速い演奏、おそい演奏
 速さではホロヴィッツ盤(セルの指揮)がとびぬけている。どの楽章も(といいたいところだが例外がひとつ。リヒテル&アンチェル盤の第2楽章が最速で6分06秒。ホロヴィッツ盤は08秒。2秒など測り方しだいではおなじになってしまう差だが)速い。第1楽章は唯一の17分台、第3楽章が6分を切るのもこれだけ、曲芸のように速い。打鍵もギレリスをしのぐ力づよさ、鋼鉄の指とはこちらがふさわしい。圧倒され、実演なら大興奮というところだが、それだけ。味わいを求むべくもない。

 今回のチェックで予期せぬ発見をした。サモスードであった。楽章ごとのテンポも、曲想の表現も、ライナーと聴きちがえるほどだ。持っていることさえ忘れていたプロコフィエフの古典交響曲をとりだして聴いた(SHINSEKAI PLV-17、25cm、モノラル)。曲が曲だから洒脱なのは当然として、率直な演奏で好感をもてる。サモスードは発掘されていい。

 ギレリスの速いのは以上まで。1970年代以降の録音になると、ムラヴィンスキーとは6分32秒、マゼールのもメータのも40秒を超えるほどにテンポをおとしている。第1、第2楽章の速さはほとんどかわらないので、そのぶん全体の演奏時間がのびている。ほかの奏者に近づいた。これはこれで理解できる演奏だが、私はやっぱりきびきびした第3楽章のライナー盤をとる。(スヴェトラーノフとならどんな演奏になるか、興味ぶかいが買いもらしている。)

 おそいのではリヒテル&カラヤン、シフラ&ヴァンデルノートが双璧だ。この2盤だけが第3楽章に7分以上かけている。リヒテル&カラヤン盤では第1楽章も、比較した全30盤のなかでいちばんおそく、たったひとつ22分を超えていて、全曲の演奏時間も最長である。ここまでおそいと、もったりしてきこえる。この曲、もともと第1楽章が全体の6割強をしめる長さがあるから、ここがゆっくりだと全曲の演奏時間も長くなってしまうのは当然といえば当然だが。

 ほかにおそい部類では、ドノホー&バルシャイ、レーゼル&マズア、アルゲリッチ&デュトワがある。乱暴にいいきると、おそい盤ではオーケストラが重たく感じる。ベートーヴェンのように「おそめのテンポで堂々と」というわけにいかない曲なのだ。
 「コロコロ」と鍵盤をころげるのは、曲によるもので、ギレリスの弾き方とはかぎらないことを確認できた。イメージを修正する。
 
 楽譜で説明できない者のかなしさ、的確に伝えられるかこころもとないが、奏者によってテンポの伸縮、強音の打ち方(たとえばホロヴィッツの第3楽章。冒頭のところ、各フレーズの第1音を、これでもかというような強さで打鍵している。さらに2音目をいったん呼吸を止めてから打つ、というぐあいで、まるでどやしつけられたよう)、拍のずらし方(ウィンナ・ワルツで第3拍をちょっとおくれぎみに打つやりかたに、ウィーンのオーケストラでしかできない味がある、といわれるのに似たこと)等々、みな特徴や癖があって「だれそれ節」とでも呼びたくなる。
 「シフラ節」はいちばん癖がつよく、聴いていて、ときにきざをも感じる。「ギレリス節」はすなおで快い。ギレリスは、わざとらしいテンポのゆらし方をしない。強い打鍵にもバランスがはたらいている。拍のずらし方は絶妙そのものである。ベートーヴェン(ソナタ)を完結するまで生きていて欲しかった。嗚呼。

 【Tchaikovsky Piano Concerto Timing実測.pdf(492KB)】

   
(2005/05/23 update)
     
   
         
 
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