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ソヴェト名演奏家アルバム第2集/ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77/ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)/キリル・コンドラシン指揮=モスクワ・ラジオ交響楽団/新世界レコード PH−21
 
ソヴェト名演奏家アルバム第18集/ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品99/ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)/エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮=レニングラード・フィルハーモニー交響楽団/新世界レコード PH−41

第3変奏 ダヴィド・オイストラフ

♪ヴァイオリン演奏の最高峰
 エッゲブレヒト著「ヴァイオリンの巨匠たち」(シュヴァイツァー節子訳・アルファベータ2004年刊)は最大の敬愛をこめて、ダヴィド・オイストラフの演奏と人となりを語っている。
 著書は、「甘美で炎のような音色」とか「情熱と気品の高さ」というように、さまざまなテーマを設けて、それぞれにふさわしい奏者をとりあげ(ひとつのテーマに一人の場合も何人もの場合もある)、演奏の特質を的確に批評し、また生い立ちや人間性を簡潔に紹介している。目次にあがっている奏者は全部で87人。

 その最終のテーマ「満ち足りた瞬間」の項に、ひとりオイストラフを配した著者の意図(俗にいえば、オイストラフを「トリ」に置いた意図)は、この項冒頭の1ページ半で明白である。オイストラフが「つくりあげたヴァイオリン演奏の王国は……比類なきものであ」り、「……完璧さと美しさ、音質における大きなスケールと多彩性、個々の表現の違い、自己コントロール、演奏上の規律の正しさ、即興性、これら総てを包括して探究している。」と引用させていただけば、私ごときが生半可な講釈をたれるまでもあるまい。ぜひご一読をおすすめする。
 意を強くして私もいう。「ダヴィド・オイストラフはヴァイオリン演奏の最高峰だ」と。

♪1967年の来日公演
 オイストラフの実演を、私は、ヴァイオリニストとしてでなく指揮者として聴いただけである。(正確にいえば、バッハのBWV.1043、2つのヴァイオリンのための協奏曲を、イーゴリと弾いたのを聴いているが。)
 オイストラフの初来日は1955年だったらしい。らしい、といったのは、私はまだS盤とセミ・クラ青年だったころで、うとかったのだ。ちょうどギレリスが(前回をご参照あれ)初めて訪米したのと同じ年である。

 私が聴いたのは1967年、コンドラシン/モスクワ・フィルと来日したときの関西公演だった。宝塚大劇場での2日目、前記のバッハをはじめ、息子イーゴリの独奏を父ダヴィドがサポートしたメンデルスゾーンの協奏曲、それにダヴィドの指揮でチャイコフスキーの交響曲第5番というプログラムであった。

 独奏者としてのオイストラフ(イーゴリとの区別の必要のない場合は、ダヴィドをさす)を聴くならば、1日目のチャイコフスキーの協奏曲(コンドラシン指揮)を聴くべきだったが、フレンニコフの交響曲(第1番)などという、聞いた(聴いた、ではない。念のため)こともない曲のはいったプログラムを敬遠して、2日目を選んでしまった。これだけ演奏会が多くなった現在でも、生で聴ける機会がまずはのぞめそうにない曲、いまなら一、二もなくフレンニコフのプログラムの日に行くのだが。(両方行けばいいじゃないかって?招待券で行くのではありませんよ。)

♪レコードのオイストラフ 
 オイストラフの音色はあたたかい。骨太で音量もゆたかだ。速めのテンポをとるところでもせかつくところがない。奏法の技術的なことはとんとわからないが、知ったかぶりでいうなら、オイストラフのボウイングは、どんなに速いパッセージを弾いても、弓の端から端までいっぱいに使ってたっぷりと鳴らす。映像で見ていると、それだけで風格を感じてしまう。おおげさな身振りひとつなく、誠実に音楽に奉仕しているのが伝わってくる。どんな曲を聴いても、はずれがない。
 晩年の演奏に首をかしげる批評も目にしたが、年輪をかさねて表現が変化していくのは自然なことで、聴き手がそれについていけるかいけないかだけのことである。オイストラフは私がそれについていくことができる、偉大な芸術家なのである。

 レコードでのオイストラフとの出会いは、25センチ、モノラル盤の、ブラームスの協奏曲(コンドラシン指揮/モスクワ・フィル SHINSEKAI PH-21)と、おなじくショスタコーヴィチの協奏曲第1番(ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィル SHINSEKAI PH-41 ) によってであった。
 ショスタコーヴィチは、すべての曲を揃えようとまで関心を高めた作曲家だが、それへいざなってくれたのが、このレコードだった。ショスタコーヴィチで1曲だけ選べといわれたら、これにする。奏者も他の組み合わせなんかでなく。
 とくに第3楽章、胸がはりさける。実演で聴いたなら、きっと涙があふれるだろう。感傷などという浅薄な感情からではない。人間存在の哀しみのようなものが痛切に胸をおそう。魂がふるえる演奏とはこんな演奏をいうのだ。

[注]
この演奏のCD、私の所蔵盤は 「CHANT DU MONDE LDC 278882」と「RCA/BMG 72914 2」の2種。1956年のモノラル録音で音は古いが、後者のほうが鮮明である。ついでに書き加えるなら、やはりムラヴィンスキーの指揮で、1957年のチェコ・フィルとのライブ録音がある。チェコ・フィルの集中力が尋常でなく、私のような鈍感な耳ならレニングラード・フィルといわれても信じてしまいそう。管はちょっとよわいかな。音質はRCA盤なみ。「PRAGA PR 256012」

♪生誕100年記念の企画を!
 熱心な愛好者のニーズとCDソフトの輸入代理店や小売店の思惑が一致して、ムラヴィンスキーやリヒテルやスヴェトラーノフやケーゲルなど、入手が困難だったり、あらたに発掘されたり、あるいはレーベルを移してリマスタリングしなおされたりしたディスクが続々商品化され、市場をにぎわしている。
 この流れにとりのこされているのがオイストラフだ。販売店とレコード批評家側からの合唱がきこえてこないのはどうしたことだろう。もういちど「ヴァイオリンの巨匠たち」を開いてみる。こんなくだりがある。

 「これだけの偉大な存在感であるにもかかわらず、今日の若いヴァイオリニストたちは、あまりオイストラフに熱狂的な憧れを示していない。彼らのヴァイオリンケースのなかには、ハイフェッツ、クライスラー、そしておそらくパールマンかムターの写真は、尊敬し、目標とするヴァイオリニストとして入っているかもしれないが、オイストラフの写真が入っていることはまずない。」と。なにか符合するところがあるように思えてならない。たとえばスヴェトラーノフ。「爆演」とはやし立てれば、けっこう人を踊らせることができる。だが、オイストラフには、そんなおいしい材料がないのだろう。だれもヴァイオリンケースに入れようとしないようなのだ。

 去年、2004年は、オイストラフがアムステルダムで客死してから満30年の年だった。没後30周年記念という、キャンペーンには恰好の年だったが、静かなものだった。3年後の2008年は生誕100年の大きな記念の年である。あんな偉大な芸術家を、このまま忘れ去ってほしくない。バティスやスクロヴァチェフスキやテンシュテット、そしていまなおフルトヴェングラーのように、音源を掘り起こし集大成してもらいたい。

 ソ連が崩壊して、文化的な財産としての膨大な録音音源も行方知れずになってしまったのが多いと聞く。(どさくさにまぎれ、古墳の盗掘のように持って行かれてしまったのでなければいいが。)オイストラフの貴重な遺産も、どれだけ残っているか気にかかるところである。

 オイストラフの没後、ソ連崩壊直前、メロディアがオイストラフの全録音を集大成する遠大な企画を立てていた。全3部全39集(1集はおおむねLP5枚で構成の模様だが詳細は不明)もある。全集が完結したとは聞かない。体制崩壊のあおりで中断してしまったとも考えられる。
 私が手に入れたのは3集だけ。当時、ほかに数集が発売されていたが、買いそびれたまま収集は頓挫している。手元不如意のこともあったが、むりをしてでも既発売全部そろえておくのだったと後悔している。
 この企画をCDで復活させ、完結させてくれないものかと私は切望する。企画の全貌を知っておいていただけるよう、LPのセットボックスに入っているリストのコピーをお目にかけて、今回はお開き。再見。

 【オイストラフ全集(ロシア語版).pdf(84.8KB)】

 【オイストラフ全集(日本語版・筆者訳).pdf(8.3KB)】

   
(2005/06/9 update)
     
   
         
 
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